お題目は命綱
秋田市土崎港 本住寺住職 山口顕辰上人
日蓮宗秋田県修法師会会長、前日蓮宗秋田県布教師会会長、日蓮宗大荒行堂結界一千日成満、日蓮宗布教院修了
宗祖日蓮大聖人ご妙判録内は第二十一の巻、持妙法華問答抄に示して曰わく「譬ば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて縄をおろして、此縄にとりつかば我れ岸の上に引登さんと云はんに、引人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて手を納て是をとらざらんが如し。争か岸の上に登る事をうべき。若其詞に随ひて、手をのべ是をとらへば即登る事をうべし。唯我一人能為救護の仏の御力を疑ひ、以信得入の法華経の教への縄をあやぶみて、決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。菩堤の岸に登る事難かるべし。」
ご妙判拝聴拝礼の面々、無始以来罪障懺悔罪障消滅今や宿福甚厚の幸いあって一乗円頓の筵を同じゅうす。猶此の良縁朽失ぜずして未来永々霊山値遇の臺縁な結ばしめ玉へ、本結大縁寂光為土、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経
皆さん方一時間半の法要がございましたのでかなりくたびれになったと思いますので、少し手を挙げて下さい。手を挙げて思いっきりブラブラさせて下さい。はい、結構です。そして思いっきり息を吸って下さい。吐いて下さい。もう一度。少しリラックスされましたか。緊張を保つのは一時間半が限度だそうです。これから一時間堅くなって居られると非常に辛いのではないかなとこう思いまして、このような形をして頂きました。
さて、皆様方に思いっきり息を吸って頂きました。息というのはどう言う字を書きますか。自らの心です。これは自分の意志で吸って、吐くわけです。この動作を人は一分間にどれ位するのだろうかと言うことで調べた所、平均で十八回、今度皆さん方計ってみて下さい。一分間に自分は息を吐いたり吸ったり、大体何回ぐらいしているのかと。数をかぞえてみると十八回が平均だそうです。
そして海の波が引いたり、寄せたりする回数も一分間に平均十八回だそうです。海という字はさんずいに母という字を書きます。私共お母さんのお腹に十月十日居る、この浮かんでいるお腹の中の羊水は海水の濃度とほぼ同じだと言われて居ます。この呼吸の十八回を皆さん倍にしますと、三十六です。三十六が人間の平均の体温です。そして、その体温の二倍は七十二、一分間の脈拍が平均七十二です。
この会場に昔、兵隊に居られた方がいらっしゃるかと思いますが。軍隊の歩き方は一分間に平均七十二歩。心臓の鼓動と同じように歩く。毎朝、夕方歩いている方いらっしゃったら是非計って一分間に七十二歩、自分の脈拍に合わせて、これが非常に心臓に負担の掛からない歩き方なんだそうです。
さて、その七十二の二倍は百四十四です。血圧の平均値です。自分は百六十という人が居るかもしれませんが、普通の血圧の平均値は百四十四です。これがどうゆうことを意味しているかと言うと、私達の身体というのは大地、自然とピタット太い綱で繋がっていると言うことです。自然の摂理と全く異ならない。潮の満ち引きが一分間に十八回、そして体温がその倍の三十六、その倍の七十二が人間の心臓の鼓動、その倍の百四十四は血圧の平均値。見事です。皆さん方、私達の身体というのは見事に自然と繋がっていると言うことです。まず、これを覚えていただきたい。
今朝、早くから皆さん方お集まりでした。今日お仏壇にお灯明、お蝋燭、お水を替えてきた方、この会場に来られる殆どの方はきちっと、ご先祖様にお参りをして来られたと信じながらお話を進めさせていただきます。お花とお線香とそれからお灯明を三具足と言います。
皆さん方に質問があります。何でお花は私達の方を向いて居るんでしょうか。普通御本尊に対して、ご先祖様に対してお花を供えるならば、逆で良いわけです。逆で良いわけなのに何で私達の方を向いてるんだろうか。大きな疑問です。
これは私共が仏様にお供えすると共に、お花が嫌いな人居ますか、、この会場の中に。お花が嫌いな人は恐らく一人も居らないと思います。美しい花を見れば美しいなと思います。仏様にお供えするお花のように自分自身も人様から好かれるように、そんな人間になりますようにと言うな約束事なんです。皆様がお花の水替えるでしょう。お供えして枯れてきたら申し訳ないと思って替えます。これは綺麗なお花を飾って私達も仏様に差し上げたお花のように少しでも人様から好かれるような人間になりたいという願いがこもってなければいけない。
さあ、その次、今日焼香しましたね、皆様。何回しました。三回でしたね。仏教辞典を見ると、仏法僧の三宝とか、空仮中の三諦とか、難しいことが一杯書いてあります。
これは良い香りのするお線香、皆さん方、今はお香が非常にストレスを解放するとか、心を癒す言ってデパートで売ってます。良い香りのお線香が。
何でお線香を上げるのか、私なりに解釈しますと、一つは先祖のために、亡くなった方達の為に、もう一つは家族が今日無事に居られることに感謝しながらします。
そしてもう一つは自分自身が、今日お集まりの方も、此処に来られると言う幸せ、もし足が不自由なら来られません。入院してれば来られません。此処に来られると言う幸せ。自分が感謝をしなからまず、お焼香をする。これが、非常に分かり易い解釈でないかなと思うんです。ですから、大勢お集まりになった時には一本一回一柱と言うんです。一つの柱と書きますが、一柱だけで良いのではないかなと言われています。
このお香の香りのように今日、お導師様がお焼香したお香は、伽羅と言うんです。お香の中でも最上級の香りのする物です。香を焚くと言うことは、香りの良い物を嗅ぐと、ああ、良い香りだな。皆さん方でもお化粧すると思いますが、臭いの悪い物は余り使わないしょう。やはり香りの良い物、香り良い物は私達の心を休めます。
あの人は上辺だけでなく、心底良い人だと思われるような心を込めてお線香を立てる気持ちが必要だと言うんです。今日は忙しいからご免なさいね、ポンポン立てたり、お花の水は今日はご免下さいと言ってやってはいけない。
それからおローソク、お灯明、今日は明かりが一杯点いてますが、皆さん方は仏壇にお灯明をマッチで点けます。回りがぱっあと明るくなります。お灯明を点けないと暗いでしょう。お灯明を点けるというのは回りを明るくします。昔は電気がありませんから、おローソクの光だけ、ランプだけでと言う生活でしたけど。そのお灯明を点けることによって回りパァーと明るく為ると言うことが仏様の教え。自分が点けた明かりが少しでも回りを照らすように、周りの人が明るくなるよう、悟りの心持ちが入ってなければいけない。
だから大きな光の普く照らすと書くんです。お灯明のことを。大光普照と書く。大きな光の普く照らす。お灯明というのはそう言う気持ちで灯さなければいけないと、説かれているわけです。
これがいわゆる三具足と言われる、お花とお線香とお灯明です。どうか今日忘れてきた方はお帰りになってから、今日はこう言うことで、忙しかったのでご免なさいと言ってお灯明をお灯し頂ければ有り難い。それぞれに、この三具足の深い意味が込められていることを感じていただければ有り難いと思うんです。只この三つをお供えすれば良いと言うことではないんです。
それから皆さん方この会場で明年の二月の二十日、私共秋田県修法師会で交通安全祈祷会をやります。正面で私共が水を被って、そして皆さん方の交通安全のご祈願をすると言う行事をします。
私も荒行堂に八回入っております。そこで荒行で水を被りながらずっと感じてきたことを一つお話をさせて頂きたいと思います。
何で水を被るのだろうか。何時も疑問を持ちながら、一日朝三時から六時、九時、十二時、午後三時、六時、夜の十一時と一日七回の水行をするわけです。水行しますと一回七杯から九杯、七度ですから五十杯前後被ります。百日に五千杯被ります。水を被るのは罪障消滅だとか、自分のご祈祷する信念力堅固だとかと言うことがございますが、色々悩んで、水を被り続けて一つの答えに出会った。
それは、昨年のことですが、皆さんおぎゃあと生まれますと、産湯につかります。産湯を頂戴して、綺麗に身体を清めて貰う。そしてこの世を去って行くときには必ず末期の水を頂く。生まれてから死ぬまで水に関わり合いがある。私共の身体は七十パーセントは水で出来てる。水という物は決して蔑ろにしてはいけないと言う事を感じました。
水には色々な働きがある。たったこの一杯コップの水でも、それぞれ色んな働きが有るんです。ですから明日から皆さん方がお水を水道からジャアッとひねってそのままボント仏壇の前に差し上げることの無いように、水には色々な働きがあると言うこと。私達に取って水はかけがえのないものですから、それを感じて下さい。
一つはこの雄物川、ずっとたゆむことなく流れて、日本海へと注いでます。水が今日は機嫌が悪いから河口からは上流へ行くよと言うことは決してない。皆さん方のご自分の家の前で水をじゃぁっと流します。今日は機嫌が悪いから下から上へ行くよと言うことは決してない。水というのは必ず自分の進路を求めて、進むんです。何が有ろうとも、進むんです。そして自分の進む道、行く道、その道を守って進むと言うことです。これが一つの働きです。
二つ目が雄物川でもそうですが、自分が動くことによって、大きな丸太がゴロゴロしてます。これは水の力によって動かします。材木でも何でも。船でもそうです。所が水の力によって物を動かしてあげるのにもかかわらず、今日は丸太一本動かして上げたから、百万円おくれと水は言いません。言ったことはないと思うんです。どんな物を動かしても、大きな船を動かしても、これだけの物を動かして上げたから、私にこれだけの報酬をおくれよと言うことは決してない。これが二つ目の働きとして奉仕を行っても報いを求めていないと言うことです。報いを求めてない。私はこれだけの働きをしても、と言うことなんです。
それからどうです。私がお水を信じて飲みます。これに毒が入っていると飲みません。美味しい水です。この美味しいコップ一杯の水から、どれ程の垢が取れるか、今ダスキンか何かで拭いちゃいますが、このコップ一杯の水から、雑巾を絞ります、色んなとこ拭いて、どれだけの垢が取れるかと調べた科学者が結論を出したのはコップ一杯の水からコップ一杯の垢が取れたんだそうです。私達はいたずらに水をこぼしますけれども、これ程の力を持っているこの水です。色々な物を清浄にする。どんなバケツの水も、一晩置けば澄みます、どろどろの儘ではありません。自然に澄んで来ます。これが水の三つ目の働き。
四つ目の働きは、自分は進むべき道、どんな障害物があっても乗り越えます。曲がりくねっていようとも、障害物があってもどんどん乗り越えていこうとする。この水の力というは、どんな物にも負けないと言う勇猛心が有ると共に、このコップには丸く水が入ります。一升桝には四角く入ります。それぞれの法縁の器に従う、和合性、いわゆる回りと合わせて行くという和合性を兼ね備えて居るのも水だよと言うのが四つ目です。
さて五つ目は、水の性質は変わりません。例えば地下水が、井戸の水が、冬は暖かです。気持ちよく、こう手が洗える。でも、夏は冷たく美味しく頂ける。けれどもその水の性質には全く変わりがないと言うことです。この本性を失わない水の働き。これが五つの働きのことなんです。
これを私はやっと八百日目で判ったんです。要約しますと、私達は決して人生に甘んじることなく進路を求めて進まなければいけない。そして自分のする活動にその報いを求めてはいけない。自らも不染世間法如蓮華在水。何時も清らかな自分で居なければならない。回りの汚れを取らなければいけない。どんなことに対しても勇猛心を失ってはいけない。そして他の人達と和合性を持たなければいけないよと言うことです。最後はどんなことにあっても自らの本性、自分の持って生まれた物を失ってはいけないと言う五つの働きなんです。これらのことを思いながら、一杯のお水にも深い、深い教えが有るわけです。ですから皆さん方が一杯のお水を頂くにしても、このことを感じて頂くとお水が成仏するのではないかなと思うわけです。
心を通わすと水が柔らかくなります。それは私の体験です。荒行堂で水行をしていても、嫌だな、嫌だなと思って被る水は堅いんです。でも、これを気持ちよく被らせて頂けるんだなあと思って被る水は非常に柔らかい。これは水と私共の心が通うと事です。どうかこのことを思って、来年の二月二十日には水行を見て頂きたいと存じます。
姿は形を整えます。そして形は心を作ります。その形をきちっとしていくことによって自らの心が出来てくる。今、団扇太鼓で唱題して行く後ろ姿が心を作るんです。心を作ると言うことは周りの人をも、先程のお灯明ではありませんが光を差して行くわけです。此処が大事ではないかと思うんです。姿は形を整え、形は心を作ります。
実は私は四年程前から、秋田刑務所の教戒師をさせて頂いています。教戒師と言うのは一ケ月に一度刑務所におじゃまして日蓮宗のお話を聞きたい人が集まって来て、そこでお話をさせて頂く。刑務所に行ったことがある人居ますか。いや中に何年も居たと言う事じゃないんです。余談ですが刑務所は素晴らしい所です。今どんどん変わっています。部屋の中は八人部屋、ちゃんと畳が敷いてあって、布団、毛布、きちっと揃えてあって、テレビがあります。十四インチのテレビがあり、スピーカからラジオがながれて来る。トイレと洗面所が付いている。外の入り口にはそれぞれの名札が付いていて、その下には何のたれべー朝日新聞、何のたれべ魁スポーツ、それぞれ希望する新聞が書いてある。自由なんです。食事も、荒行堂はお粥と、一汁一菜。所が其処の刑務所は、この間行った時に鰺のフライの大きいなのが付いてまして、それから、お粥じゃないんです。ちゃんと白いご飯に麦混ざった健康食品。どんぶりも、綺麗に清潔に洗われて、そこで、食べた食器はどうなるかと言うと、全部まとめて機械が洗うんです。ガシャッと入れますと、全部まとめて機械が洗って、順番にドンブリはドンブリ、皿は皿で出で来る。皆さん方の家庭より、家よりも、もっと衛生的ですよ。勿論荒行堂より衛生的に管理されている。決してあそこの中はO-157にはかかりません。是非行きたい方は一度いらして。
その刑務所で、毎月約二十分お経の稽古をする。最初は怖かった。最初に行ったときはビックリしました。みんなジット睨むんです。皆さん方のように優しい顔をしてないんです。この辺から入れ墨が見えてる方達が、ジット私の方を睨み付けて一時間微動だにしない。なんでこの人達反応してくれないのかな。一生懸命話す訳です。汗ダラダラになって、ちっとも反応しなかった、最初の時。そしてその後係りの方に聞いたんです。そうしましたら後ろで、刑務所の職員見てるわけです。お二人。そう、色々眠ったり、何と言うんですか、ダラダラしたりすと、勤務評定じゃないけど書かれちゃう。だから少しでも微動だにしない方が彼らの成績には為るわけです。
そこで感じたのは、その次から是非話が頷くような所が有ったら、頷いても良いですよと言うことで許可を頂いて、最近はニコニコ頷いてくれるようになりましたが、それまで大変でした。
そこで、今毎月お経の稽古をして、一昨日も行って参りましたけど、合掌をして頂きますと小指の無い方が殆どです。何で無くしたか良く分かりませんが、それでも合掌すると必ずどっちかの手が曲がるから良く分かるんです。でも、合掌をして頂いて、お経の稽古をしますでしょう、御経本を見ながら、その時の彼らの顔は非常にいい顔です。その、苦み走った、睨み付けたような顔じゃない。これは求めて来てますから、一生懸命お経を読もうとする心が出ます。そうすると非常に良い顔をするんです。姿は形を整えるってとこです。
もう何人の方が出て行きましたが、その方達に御経本差し上げて、何時か辛いときにはこの御経本読みなさいと言うことをお話ししてます。このお経を読んでいるときの彼らの顔は、いわゆる脳内革命で出て来るベーターエンドルフィンの世界です。良いホルモンが流れてる。レドアドレナリンじゃないんです。嫌なこと、こんちきしょと思う時は、皆さん方レドアドレナリンと言うのが流れて身体に良くないそうですから、何時もニコニコ、何時も良い顔をして居ると言うことなんです。いつも健康を保つ秘訣だそうです。彼らのお経をやっている最中は、その良い顔をしている。
その刑務所で実は昨年の二月に、もう新聞にも出てるからお判りだと思いますが、一人の受刑者の方が亡くなりました。暴力事件で、憶えてる方も居られると思いますが、魁の新聞にも大きく載りました。去年の二月の十四日に、荻原さだしさんと言う一人の受刑者が亡くなりました。亡くなりますと刑務所ではどう言う事をするかと言うと、家族に連絡を致します。荻原さだしさんは四十三歳。すぐ岩手の方に連絡を取りました。そうしますと、あいつは家の者ではないから、どうか勝手に火葬して欲しいと言う連絡が刑務所に来た。刑務所では困り果てて近くのお寺さんに頼んで枕経を挙げて火葬をして、お骨を岩手の荻原さんの実家へとお持ちになった。持っていってお墓に納めてくれて成仏するであろうと係りの人は行くわけです。
ところが三月に入りましてから、この刑務所の中で色々なことが起きてきた。この中に刑務所の関係者の方が居たら、これは事実ですので、私の作り事でございませんから、お聞きして頂ければ結構です。荻原さだしさんかが住んでいたところに、夜な夜な彼が出て来る。そこで受刑者の中だけで問題になっていれば、ああ、あいついい加減なこと言ってんだなと言うことで済ますわけです。所がその舎房の中の係りの人達にも足音が聞こえたり、人が歩かないのにガシャンと音がしたりしてくると、段々困り果てて来るわけです。そこで困り果てた係官が三月の十三日に電話を呉れました。山口先生、実はこう言う事で荻原さだしが舎房、舎房と言うのは監獄のことです。舎房と言うんです。その中で夜な夜な出て来て、受刑者も係りの人も困ってるから一度お経を読んでお払いをして貰えないかと言うんです。実は翌日、十四日、十五日には春のお彼岸のお説教で九州へ行かなければ成らなかった。明日しか空いてませんけど、明日で宜しければお伺いいたしますよと言うことで、お話をしたら、じゃ是非来て貰いたいと言うことで、初めてあの監獄の中に入って参りました。
それを先程皆様方にお話をしたんです。明治の時代に作られた百年も経つ古いところですから、非常に寒いんです。火の気が、ストーブが一つしか、幾つもある部屋の片っ方にしか置いてない。その中に祭壇を組んで頂いて、お塔婆を持って行きました。そこで所長さん以下係りの人達がその部屋の中に座って頂いて、方便品、お自我偈、そして、神力品、観音経を読んでお題目を唱えて、そしてご舎房をご祈祷して、ご回向させて頂きました。その日はそれで終わって、もう行かなければ行けませんと言うことで帰らして頂いた。もし又何か有ったら参りますからと言うことで、懇ろにお経を読まして頂いて帰って来たわけですけど、その一週間後、九州から戻って来てお電話を差し上げた所、それ以来荻原さだしさんは出て来ない。
よくよく調べましたら、荻原さだしさんは、岩手県の出身で東北新幹線が出来る時、山を沢山持っていた人で、大金持ちだったんです。そこで、大きなお金がいっぱい入るもんだから、どんどん使い果たして、いよいよ釜返すと言うんですか、破産しちゃったんです。それでも我慢できず悪いことに手を染めて、挙げ句の果てにこの、刑務所に入ってきたと言うことで、たまたまご両親は法華経を信仰していた人だった。
そこで、話を戻しますが、枕経を挙げて頂いた方が、他の宗派の方。私は縁があって、法華経を読み、お題目を唱えさせて頂いた。もしも、彼がこの時に、いや法華経なんか嫌いだよ、と思っていれば又出て来ます。それ以来出て来ないと言うことは、彼は法華経を聞きたかったんです。法華経を聞いて霊山浄土へ行きたかった。でなければ皆さんあなたの知らない世界じゃ有りませんけど又出て来ます。
ここなんです皆さん。お題目を唱えていくと言うことは、ご両親がたまたま縁があって法華経の綱に掴まって、唱えたお題目の綱が、この荻原さだしさんにも繋がっていると言うことです。言い換えれば仏になる種が、ご両親の唱えたお題目によって植え付けられていたと言うことです。たまたまそれが生前中出来得なかったけれど、どうしも魂のほとばしりが法華経お題目によってしか、救われないんと言うことがあって、縁があるわけです。この事実が此処に居られる皆さん方法華経にご縁を頂いたと言うことが、この太い、本日の説題のお題目の命綱にずっと、先祖から繋がっていてご縁があると言うことです。
此のご縁をずっとこれから先も繋げて行かなければ成らないんです。幸せなときはさほど
感じない。けれども、自分が窮地やら色んな所に立たされ時に、成る程なあ、お題目は有り難いなあと思うわけです。
だから先程法要の時に、此経難持・若暫持者・我即歓喜・諸仏と唱えました。此の経は保ち難し、若し暫く保つ者は、我即ち歓喜す、諸仏も亦然なりと、此の経は保ち難いよ、保ち難いんです。御経本を持つのは簡単です。このお題目、法華経を魂に入れ込むことは非常に難しいことだけれども、若しも暫く保つ者は、少しでもですよ、一瞬でも、真剣にお題目を唱えてくれるならば、我即ち歓喜す。お釈迦様が私はとっても歓びますよ。私ばかりじゃない、この諸天善神がみんなであなたを讃えてくれる。素晴らしいです。目には見えません。姿にも現れないけど、これは事実として私共、皆さんの前に仏様が現れてくると言うことです。ですから先程皆様方が大きな団扇太鼓でお唱えになって気持ちが良かったでしょう。非常に気持ちよくお唱えするお題目の時にそれが、ピタット通じていくと言うことです。
仏様は、日蓮聖人は何時もアンテナを皆さん方に出されてるんです。その電波に自分が掴まるか、掴まらないかというのは自分自身の心持ち、自分自身の信仰に拠るんです。この事を充分に感じながらお題目を唱えて行くと言うことが大事で、我々もそうなんです。幾ら修行したからこれで良いと言うことはない。お祖師様でもあの六十一年の生涯大難四ケ度の艱難辛苦ご生涯だったんです。それでも、お題目は末法万年を救うからと言って私共に今日伝えて頂いて居る訳でございます。
実はここで私の教え子の事をお話しさせて頂きますが、北海道の襟裳と言う所に、大法寺さんと言うお寺さんがございます。そこの長坂直道君と言う私の信行道場の教え子が居ます。その彼が信行道場に入って来る時に、足が不自由で、もし皆さん方の中に足のご不自由の方がいらっしゃったら、お許しを頂きたいと思いますが、彼は足が非常に不自由で、普通の人のように真っ直ぐ歩けない。信行道場は、身延山の西谷の坂を、下駄で登らなければ行けない。この方は駄目じゃないか、けれども信行道場を出ないと一人前の坊さんとして認められないのでどうか出して欲しいと言うことで許可を受けて入って来られた。信行道場では四角い下駄を履いて貰う。その下駄が一週間で丸く成っちゃう。人差し指が出ちゃうし、小指が出ちゃう。何故かと言う踵が着かない。爪先で歩くもんですから、登りが良くても下りが削るんです。そして五足も使った。今月の十六日に襟裳に寄って見ましたら、御宝前にその五足の下駄が飾ってありました。
彼が生まれたのは二千百六十グラム、今日ここで皆さん方にお話しをしたいと言う事で、手紙で許可を貰いながら話をしてますが、彼が二千百六十グラムでこの世に誕生した。お父さん、お母さんは一人っ子だったから、蝶よ花よと育てた。所が八ケ月目の時に高熱が出て、にっちもさっちも行かなくなった。襟裳の町というのは小さな町ですから、お医者さんがそう居ません。熱が下がらないので八方手を尽くしたけれども駄目で、もしかしたらと言う事で、お父さんお母さんが、お祖師様にお願いをして、水垢離をし、お題目を唱え、どうか直道の命が、直道のこの熱が下がるようにと言う祈りの甲斐があって、直道君が無事に熱が下がって行った。
所が彼が三歳になっても立つことが出来なかったそうです。普通のお子さんは一年とちょっとで男の子は立ちます。ハイハイから立ち上がります。でも彼は三歳になるまで立ち上がることが出来ず、そこでお医者さんに行って、筋電図取ったんだそうです。そうしましたら、この八ケ月目の時に高熱があがった為、いわゆる脳性小児麻痺に掛かっていた。その為に両足の障害が起きた。それで立ち上がっても踵を着くことが出来なかったんです。
さあ、それからのご両親のご苦労。保育園に行くのにも両脇を抱えながら保育園に通い、膝に固定するブーツを履かせて抱えながら行ったんだそうです。段々直道君が物心付いて来ると何で、お母さん僕だけこんな目に遭うんだよ。何でみんな元気に走り回ってるのに僕は走り回れないんだよ。と言ってご両親をなじったんだそうです。でも、ご両親は温かい日に襟裳のお寺の縁側に座らせて直道必ず良くなるよ、直道必ず良くなるよ、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお父さんお母さんがお題目を唱えながら、彼は小学校、中学校へと通った。
そのお父さんお母さんの慈愛に包まれて彼は素直に成長して、身延山の高校へと入学するわけです。身延山の高校でも寮生活は出来ません。勿論。それで近くの法華堂と言う所から学校へ通って無事に高校と短大、六年間の学校生活を終えて帰宅がその信行道場だったんです。信行道場でも彼は一生懸命努力をし、四角い下駄を丸くして、足には血豆を作ったり血を流したりしながらずっと一緒に修行して来ました。三十日目に皆さん方ご存じの通り、身延の七面山に登ります。私はその時にはとても彼には無理です。皆さん私共健康な身体でもきつい山を、踵を着けない彼が登ることは難しいんです。そこで私も彼に君はもう一生懸命ここまで来たから後は七面山登らなくても良いよ。この道場でお経を読んだり、写経したりして過ごしていれば良いよと、伝えたんですが、彼の曰く、いや先生僕はもう恐らくこの機会を逃すと七面山に登ることは出来ません。どうかみんなと一緒に登らせて頂きたい。懇願をされて、班の人達と相談した結果、みんなが協力をしようと言うことで登ることになったんです。
所が大変です。晒しを身体に三本巻いて、二本は前へ引っ張る。後ろへつんのめってはいけませんので支える。彼に杖を突いて貰って、普通の人ですとせいぜい四時間で登ります。私共が午前八時に、角瀬のお万さんの滝から登り始めて、私共は早いんです。皆さん道場生を六十人ぐらい連れてますと三時間位で登るんです。其処を彼は八時にスタートして、八時間かけて登ってきた。みんなが手を叩いて、ああ、有り難う、御苦労様。支える人も必死です。みんなで歓んで彼を迎えてあげたその功徳と言いますか、翌日のご来光が、あの五月ですから、富士山の左の裾の方からぱぁっとご来光が上がってきます。もう、みんなが涙を流しながらお題目唱えながら、経験のある方はご存じの通り、誠に有り難いご来光を拝んで帰り道、今度は三本の紐を五本にしました。踵を着けない彼は突っ張りますから、黙っていればつんのめって行きます。其処で、三本を後ろの人が支えている。二本を横が支えている。彼を前と横で後ろと前後左右を固めて一緒に降りて来ました。みんなの協力を得て彼が降りて来て、ご廟所で本当にみんな御苦労様、これはみんなが協力したお陰だし、彼の努力は勿論のことみんなの協力があったればこそ。これはお祖師様に報告しましょうと言って、ご廟所で皆さんと一緒にお祖師様に報告させて頂いた。
翌日いよいよ最後の前の日です、道場の中を全部草取りをして、最後に感想文を書いて貰う。その感想文の彼の言葉の中に僕は小さい時に脳性小児麻痺に掛かって両親をなじったり辛い思いをさせて来たけどお題目の杖に支えられながら僕は今日まで来ました。ここでようやくみんなと一緒に七面山に登れてご来光も拝めて、下山することが出来、今日僕はこの道場の草取りをしていて、あることに気が付きました。それは何かと言うと、草取りのくと言う字を取ってしまうと覚りと言う字です。やっと僕はこれに気づくことが出来ました。これから先は大法寺に帰って父さんの手助けをして一生懸命立派なお坊さんに成りますと言う感想文だったんです。
普通草取りのくを抜けますか、皆さん。これは彼が二十六年の人生を歩んで来て、くの抜くことが出来た。
実はその彼が昨年の十一月に荒行堂に入った。普通ですと、長い間正座してますと、先輩の行僧さんが胡座をかいても良いよと言う許可を与える。けれども彼は、足が不自由ですから胡座をかけないんです。二時間も三時間も四時間もしても胡座をかけない。かけないとどうなるかと言う足のくるぶしに穴が空きます。穴が空くと言うことはコザの藁からの農薬入って膨れると言うことです。その彼が十日目にして倒れて、丁度私の下の部屋でしたけれど、夜のお勤めが終わって私共が下がって部屋に行ってみると彼が真っ暗な、勿論用のない時は電気を消さなければいけない。例え病人が居ようともです。電気点ける訳にいかない。修行ですから、そこでそっうと中を見ると、長坂君が何をしていたかというと、布団から起きあがって遠くから聞こえてくるお経を、御経本を持って真っ暗な中読んでるんです。私は真っ暗でしたから何も言えず涙が落ちるのがどうしても留めることが出来なかった。これ程までにしてガンバッていると言う事が、他の行僧の方の励みに成った。まあ、無事に彼の足が治ってこの二月十日に出行して、二月の二十八日に襟裳のお寺で最後の帰山式をしたんです。その時にご両親の言葉が直道がどうしても行きたいと言うんで行かせましたけれど、今日帰って来るか、明日帰って来るか、何時も不安でした。けれどもこうして無事に帰って来て、お祖師様のお題目のお陰で直道は帰ることが出来ました。本当にこの子がお坊さんになって良かった。と言うご両親の感想だったんです。最後にご両親に対して木剣を振ってご祈祷している姿、勿論檀信徒の方々も涙ボロボロ、ご両親も涙を流し、本人も涙を流しながらご祈祷をしてました。
私が最初にお読みをしました、お祖師様のご妙判「譬ば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて縄をおろして、此縄にとりつかば我れ岸の上に引登さんと云はんに、引人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、手を納て是をとらざらんが如し。」岸の上に人が居て、さあ太い縄を降ろすから、どうかこの縄に掴まれよと言います。けれども岸の下の方に居る人がこの岸上に居る人を信じても、もしこの縄が途中で切れるのではないかなと思ったら、掴まりません。又この縄が太いと言う事が判っても、もしかして岸上にいる人が意地悪して途中でその縄をぱっと離したら岸上に登れない。このことを大聖人がお示しになっている。岸上にいるのはお釈迦様・お祖師様です。岸の下にいるのは私達凡夫です。そしてこの綱は法華経です。お題目です。私共はこのお題目の綱にしっかり繋がって生きて行かなければいけないと言うことです。
長坂直道君、今はじきどう君と呼ばしていますが、直道君もこのご両親の植え付けられた仏の種によって花を開き、無事にずっと綱に掴まって今日まで生きてるわけです。どうか皆さん方もお祖師様のお示しの様に、このお題目・法華経に命の綱にしっかりと掴まってお題目を唱えて頂ければ、お祖師様もお喜びになるのではないかと思うわけです。
さて、お祖師様が六十一年のご生涯大難四ケ度の艱難辛苦のご生涯でした。ご承知の通り御年五十歳、龍口のご法難、正に裸馬に乗せられまして、首を切られようとする時、あの境内の場所で諸天善神の計らいによりまして、一命を取り留めて十月の十日依智本間六郎左衛門の館から佐渡島へと流されて行くわけです。その佐渡島に流されて行く時に土の牢に捕らわれておりました日朗上人に対しましてお手紙を差し上げた「日蓮は明日佐渡国へまかるなり。今夜のさむきに付ても、ろう(牢)のうちのありさま、思やられていたはしくこそ候へ。」私は佐渡の国に行くけれどその牢の中に捕らわれている、日朗上人、君のことを思うと思いやられていたわしく、非常に寒いのに、まして土の牢に捕らわれている貴方はとても寒さに耐えていることでしょうね。「心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親一切衆生をもたすけ給べき御身也。法華経を余人のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。」一つ一つ情けのお言葉を掛けられた大聖人のこの優しいお手紙に、日朗上人は土牢の中で一行読んでは泣き、二行読んでは咽び大聖人の暖かな御慈悲に触れてあの土牢の中の生活をするわけです。
さて、大聖人様はあの北国寒山佐渡島へ十一月の一日にお着きに成られました。一天万乗の君でも戻る事の出来なかったあの佐渡島へと流されて行くわけです。げれどもご承知の通り大聖人は文永十一年の二月の十四日に赦免状が届けられます。御赦免になったわけです。罪を許された。御赦免になりまして三月十三日には佐渡島をご出発をされて鎌倉には二十六日にお着きになりました。鎌倉にお着きになった大聖人は北条幕府に対しまして、この国は法華経を信仰しなければ国は必ず滅びるよと「三度諫めて用いられずんば身を山林に隠せよ」との聖賢の教えに従いまして、大聖人五月の十七日に身延のお山へとお入りに成られたわけでございます。
これが身延山の始まり。開闢会でございます。
やがて大聖人のご草庵が出来まして、六月の十七日にご草庵へとお入りに成られました。翌年の文永十二年の二月十六日、まさしく大聖人のお誕生日の日に、故郷安房の小湊より一つの荷物が届けられました。手紙が添えてあります。故郷小湊の新尼御前からの荷物、開いて見ますると、「久しくご無沙汰いたしておりますが大聖人様にはお変わりございませんでしょうか。私の方は母上もいたって丈夫で懺悔のお題目に終始して居ります。私も幸い無事にこの冬中から故郷安房へ帰りまして、新年を迎えて参りました。その折り何か大聖人へと思いましたが、何もございません。お送り致しますのは安房の海苔、お手紙が届けられ、大聖人様その袋包みを開けてみますと新尼御前から届けられた懐かしい故郷安房の海苔、東海道十三里の山奥、身延の山の又山の中で故郷の海苔を頂くとは何とかたじけないことであろうかと、袋の海苔を手にせられ開いご覧遊ばしますと見事な海苔でございます。と申しましても今の海苔のように四角い海苔ではなく海中から採取して干しただけの海苔の束、その海苔をずっと見ておられた大聖人、おおっ良い色だ磯の香りがする。故郷房州小湊の磯の香りだ、懐かしそうに海苔を見ておられたお祖師様の眼から一筋二筋の涙が流れて落ちます。そのお祖師様の眼に走馬燈のように浮かびましたのは四十年昔のあの故郷小湊の善日麿の頃、おお、そうだった。子供の頃、冬とも成ればお父様の手助けをして海苔を取るおじゃまをもうあげたことがあったなあ。その海苔が時折朝粥の膳に挙げられて、頂戴したことがあったけれど、彼の時の海苔の香り、海苔の艶、今この身延の山で新尼御前から贈られた海苔の香り、艶今この身延の山で何にも変わって居らぬのに、何で父上母上の姿を拝することが出来なのであろうか。海苔は変わらぬのに両親だけが何故早くこの世を去られたのであろうか。
海苔をお持ちになったまま「峯に上てわかめやをいたると見候へば、さにてはなくしてわらびのみ並立たり。谷に下てあまのりやをいたると尋れば、あやまりてやみるらん、せりのみしげりふしたり。古郷の事はるかに思わすれて候つるに、今このあまのりを見候て、よしなき心をもひいでて、うくつらし。かたうみ・いちかわ・こみなとの磯のほとりにて昔見しあまのりなり。色形あぢわひもかはらず。など我父母かはらせ給けんと、かたちがへなるうらめしさ、なみだをさへがたし。」ずっと一袋の海苔を見て、ご両親の在りし日を思い起こされたお祖師様は海苔の袋を手にせられたままあのご草庵の庭に降り立ちたまえて東の方をずっとご覧遊ばしますと、ぽっかりと浮かんで来る白い雲、ああ、あの雲は両親の墓を眺めて来てくれた雲ではないだろうか、そよそよと吹く風が身に触れて、ああ、この風は両親の墓をそっと撫でて来てくれた風ではないだろうか。例え一本の花なりとも、お供えして呉れる人があるであろうか。出来るならばあの雲に乗って今にでも房州へ行きたいものだ。「いまに生国へはいたらねども、さすがこひしくて、吹風、立くもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立てみるなり。」そうだあのもっと高いところに登れば両親の家は見えずとも房州の空は拝することが出来るであろうと、その海苔をお持ちになったままあの身延の山を一丁登り、二丁登り、登り詰めました五十丁の山坂、海苔を小高いところに置きまして、お父上母上昔は父上母上から海苔を頂戴いたしましたが、本日は日蓮より父上母上にこの海苔をお供えいたします。南無妙法蓮華経と御回向あそばされてお帰りになられたあの御山、今は身延山思親閣、親を思う所。晴れた日には房州の彼方が拝することが出来ます。
皆様方が思親閣に行って何であのような場所をお祖師様が選ばれたのか、今申しあげた通り故郷に帰れずとも、自分は東の方を向いて暮らすんだと言う深いお祖師様のお心持ちがそのようにさせたわけでございます。
どうか皆様このお祖師様の命綱をしっかりと頂きながら親から子へ、子から孫へ、私共のこの大事なお題目の命綱を伝えて頂きたく、ますますのご精進をお勧め申しあげます。
もう五年後には立教開宗750年、親も子もそして回りの人達もお題目を唱える人になろうではないか。と言う事でお題目総弘通運動を勧めております。私の本日の解題「お題目は命綱」を長らくの御聴聞誠にご苦労さまでございました。最後にお題目を三遍お唱え下さい。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経 有り難うございました。

