今アジアの子供達は of 日蓮宗秋田県教化センター


秋田の地より涌きいでて、
全国に、世界に伝えたい!

特別法話集「平成9年度日蓮宗秋田県誓願大会特別法話」

 ★日蓮宗では平成14年、日蓮宗立教開宗750年を迎えるに当たり慶讃布教を展開中でありますがその中に①社会教化活動を通じて社会的貢献をしょう。②海外への開教を通じて世界にお題目を弘めよう。 を掲げて活動を展開しております。

日蓮宗秋田県宗務所でもこれを受けまして、日蓮宗秋田県社会事業協会を中心として「一日十円運動」を展開。すなわち朝お仏壇にお参りするときに十円を募金箱に入れるというものであります。更に街頭募金、チャリティーバザー等の浄財を基に盲導犬の贈呈、視力障害者の横断歩道信号用シグナルエイド寄贈運動を実施中です。
又ユニセフを通じて世界の子供へワクチンを送る運動、更にはラオスへ小学校を贈る運動を展開中で、平成10年9月2日日蓮宗宗務院、BAC仏教救援センター(Buddhist Aid Center)を通じて小学校を贈呈しました。下記の講演はこのラオスに小学校を贈る運動の一環として、実働を担当して居られる、BAC仏教救援センター理事長伊藤上人が、平成9年度日蓮宗秋田県誓願大会で行ったものであります。

今アジアの子供達は

静岡市感応寺内 伊藤佳通上人

仏教救援センター(BAC)理事長 

アジアと申しましても、東南アジア、西アジア、東アジアと広いわけでございますが、私が仕事をしてまいりました所は、主に東南アジアでございます。そして南アジアの一部がこれに入ってくるわけでございます。
 基本的にアジアだけでなくて、世界中の子供達について言えることですけれども、地球上には今、六十五億人位の人類が生活をしていると言われております。発展途上世界では、国勢調査なんか出来てませんので、正確でないようですけれども、あるいはそれ以上いらっしゃるかもしれない。その六十五億人の人達の中で、衣食住が充分に満ち足りている人達と言うのは僅か二十五パーセンとしかいないそうです。
 朝昼晩ご飯が食べられて、雨露をしのぐのに充分な家があって、季節の変わり目ごとに衣替えが出来るような衣類があって、と言うふうな基本的な人間の生活が保障されている人と言うのは二十五パーセントしかいない。残りの七十五パーセントの人達は何らかの飢餓状態に置かれているんだそうです。
 飢餓というと我々は直ぐ食べ物と思ってしまいますが、食べ物もそうですけれど、水です。安心して飲むことが出来る水。これがなかなか確保できないんだそうです。
 そういうことで、世界の中には五歳までしか生きられない子供達が結構居まして、ユニセフ、国連児童基金が毎年世界子供白書という物を出すんですけれども、それを見ておりますと、驚きます。
 日本で千人の子供が産まれますと、だいたい五人か六人が五歳までに死んでしまうんだそうです。千人のうち五人、六人です。と言うことは今日ここに四百五十人からの方がお集まりになっていると言うことは、もし皆さんの家でお子さんやお孫さんが結婚されて一斉に赤ん坊を生んだとしますと、まあ、二人ないし、三人位は五歳まで亡くなることになっちゃいます。ね、凄く多いでしょう。千人のうち五人か、六人の赤ちゃんが死んじゃう。いやあ、日本てそんなに死んでしまうのかと思って、その白書をよく読んでまいりますと、実は世界で一番少ない数なんだそうです。千人中五人か六人が。多いところは千人中三百人。あるいはそれ以上という国があります。三人に一人が五歳の誕生日までに死んじゃうんです。
 日本には七五三という素晴らしい行事がありまして、本当にどなたかがお考えになったか知りませんが、あの七五三というのは三歳、五歳、七歳、そこまで生き延びるのが大変な年齢なんだそうです。三歳まで生きれば暫く大丈夫だ。五歳まで生きればまた七歳まで大丈夫だ。七歳を過ぎれば滅多なことで死なないと言うので、節目節目にお祝いをするんだそうですけれども。その五歳までに死んでしまう子供の数が非常に多い。日本はで今申し上げた千人中五、六人というのは、非常に多いんですが、五歳になっちゃうと横ばいになってしまう。殆ど亡くならないんです。事故なんかに会わない限り、病気でなくなるなんでほとんどない。日本の場合は。
 ところが発展途上世界では、そのカーブが十歳になろうと、十五歳になろうと二十歳になろうと同じカーブで子供達が亡くなって行ってるんです。それで、発展途上世界では八人の子供の内、いわゆる日本で言う成人式、二十歳を迎えることが出来るのは僅か一人だそうです。八分の一だそうです。残りの七人はそれまで皆亡くなってるんです。色々事情はあるんですけれども。しかし、一番多いのは病気です。その病気は何処から来るかと言うと、やっぱり栄養状態が良くないと言うところから来るわけです。
 今の日本人はカロリーを取ると言うこと、栄養をとると言うことの違いがちゃんと判ってますけれども、発展途上世界に行きますとそんなことを考える余裕がない、とにかく腹一杯に成ればいいと言うような食事、しかも腹一杯の食事すら満足に得られないと言う状況ですから、これが身体に良いはずはなくて二秒に一人、世界では二秒に一人、子供達が亡くなって居るんだそうです。
 そういう現実がなかなか表に出てこないんです。NHKのニュースを朝から晩まで見ていたって、世界では子供達が二秒に一人死んでますなんてニュース、誰も出さない。つまり、ニュースでないからです。何十年も前からずっと、何百年も前から、ずっと続いて、これから先もずっと続いていく。毎日起きている出来事だからニュースにならないんです。しかしこれ程大切なニュースはないんです。

 我々はお金を出して美味しい物を食べる。それで話がチャラになっちゃうんです。誰も悪いことしていない。そのレベルでは。ところがその間にも二秒に一人づつの子供達がどんどん死ん行く。親の腕の中で、母親の腕の中で。親だって為すすべを知らないんです。日本みたいに一寸歩けばお医者さんが居て、その辺に行けば薬屋さんがあって、しかも最近はスーパーの薬屋さんがあって、安売りしているなんて一切ありませんから。薬なんて見たこと無い。お医者さんになんか会ったことがない。そういう人達の方が遙かに多いわけです。
 そういう現実を無視して、自分たちだけが幸せになれば良いと言うのは、これはやはり大乗仏教の精神に反する事でございますから。我々も勿論豊かで健康な生活を続けさして貰いたいんですけれども、その為には、世界中に苦労をしている人達が居なくなる、そういう世界を作らなければいけないんじゃないか。一寸生意気なようですけれど、やはり大乗仏教の日蓮宗の僧侶としては当然そういうふうな考えに来るわけでございます。
 色々調べてみましたら地球上では、毎日三千キロカロリーの食料、三千キロカロリーと言うと凄い量なんです。これだけの食料が、実は地球上の六十五億の全ての人類が毎日食べられるだけので物が有るんだそうです。地球上に。しかもそれが毎日生産、捕獲、収穫されて居るんですって。
 じゃ何故アジア、アフリカ、中南米で飢えてる子供達が出て来ちゃうか。それは世界中で、生産、捕獲、収穫されている食料が平等に行き渡っていないから。お金のある僅かな国が、数字で言いますと、二十五パーセントだそうです。ちゃんとご飯を食べられているのが二十五パーセントとだと言いましたが、その二十五パーセント人達が世界の全部の食料の何と七十五パーセントを消費して居るんです。ですから僅かに残っているのは二十五パーセントです。四分の一しか食料は残っていない。その四分の一しか残っていない食料を世界人口の七十五パーセントが今度又お互いに分けあって食べ居る。しかもそれも平等に行って居るんだったらまだ良いですが。ところがその貧しい国の中にも又格差がありまして、これはまあ難難問題とこう言うんですけども、この更に貧しい国には行き渡らない、と言う状態になっている。そういう世界を作り上げている二十五パーセントは誰かというと、我々なんです。日本なんてその際たるものなんです。
 天ぷら蕎麦が千円。じゃ千円出して、蕎麦食ったら文句無いだろうと思うかもしれないけれども、実はようく考えてみるとその天ぷら蕎麦に入っている海老は殆ど東南アジアからの輸入であったり、そば粉だって、大体六割から七割が外国からの輸入なんです。この間あるテレビを見ていたら天ぷら蕎麦食ったら、その中で百パーセント日本製の物は水だけしかないぞとこうおっしゃってる方がありましたが、そのくらい外国の物を頂いている。外国から物を輸入しているから良いじゃないかと言う意見の方があると思う。今、貿易黒字が問題になっていますから、少しでも輸入してやればいいじゃないか。ところがそう言うわけに行かないんです。
 日本の水産加工業者とか、商社が発展途上世界の市場に行って、あるいは漁師から直接買って来るんです。海老にしても、貝にしても、魚にしても買って来るんですけれども、その時に付ける値段というのが、現地の人達の流通価格の十倍以上の値段を付けちゃうんです。だから漁師は日本が買い付けに来るまでは、ざる一杯幾らで地元の市場に卸していだんです。だから地元のお母さん達は夕方市場に行けば安いお金で海老でも蟹でも、魚でも何でも食べられたんです。ところがそれを取った漁師の人達が日本に売った方が儲かりますから、日本の業者は一匹幾らで買い取ってくれますから、そっちへ全部売っちゃうんです。
 その発展途上世界の市場、サイゴンにショロンと言う所がありまして、私そこの市場に行って吃驚したんです。海老のこっから上ですよ、えらというですか、堅いところ、あれがずっらっと並んでる。僕は知らなくて、一緒に行ったユニセフの人にベトナム料理こんなとこ、食うのかと言ったら、そのベトナム人怒りました。馬鹿言え、おれたちだってこっから下の柔らかいところ食いたいんだけど、おまえらが好きだというもんだからみんな日本に輸出しちってるんだ。まだ日本とベトナムが直接貿易をしてないときですよ。それが。香港経由で全部日本に行っちゃう。大変な問題になったるんだと、つまりタンパク源ですから。これを奪っている。
 これは日本だけ悪いことをしていると聞こえますので、もう一つ説明しておくとヨーロッパの国々も同じ事をアフリカ大陸でやって居るんです。アフリカでは小麦とトウモロコシが主食なんですけれども、これも高い値段付けて買いあさってしまう。アフリカと言うと皆さん飢餓大陸なんて言う言葉浮かんでくるでしょう。みんなが飢えてると思うでしょう。ところがそうじゃないんです。もしアフリカ全土で取れているその食料をアフリカの人達だけで消費できるシステムだったら誰も飢えないんだそうです。アフリカで飢える必要はない。
 それが飢えてしまうのは、日本も入っていますけど、特にヨーロッパの業者が入って全部買って行っちゃう。高い値段付けますから、高い方へ売ります、作った人は。それで儲かるのはごく一部の地主だけでしょう。自分の所の広い畑を持っていてトウモロコシ、小麦を作ってる人は儲かります。しかし廻りの人達は手に入らないんです。そこで僅かな給料を貰って、さあ自分たちが作っているトウモロコシを買いに行こうと思ったって凄い値が付いている。買えないんです。
 酷いのはそのヨーロッパの人達が、アフリカで買いあさったトウモロコと小麦を豚の餌にするんです。自分たちが食べるならまだ救えるんですが、豚の餌にするんです。豚をコロコロ太らせて、太った豚を食べるんです。こういうことをしちゃってるんです。
 しかしヨーロッパのレストランで豚肉を食べている人達はこう言うこと意識してません。丁度私達が天ぷら蕎麦を食べる時に、只美味しいかどうか考えるだけで、海老がベトナムから来たなんてこと全然考えないでしょう。そろそろ、それに気が付かなければいけない時期が来てると言うことです。

 世界全体がそれこそ貧しくなってしまったら我々の食料なんてもう手に入らないんです。我々の食べている食料の七十パーセント以上が外国から輸入ですから。もし、外国が我々に何だかんだ言っても、食料を提供できないような、本当の意味で貧しい生活になってしまったら、もう我々日本人も生きられないと言うことです。
 外国のことを考えると言うことは実は自分のことを考えると言うことなんです。それがどうもまだまだ日本では理解がされてなくて、私が毎月ラオスに行っているというと、何でおまえラオス何かに行くんだ。
 この間まで実はラオスの南にあるタイの東北部で癌の早期発見、つまり癌が多いんです。あそこ、どういう理由か調べるのも目的だったんですが、癌が非常に多いって言うんで七年間に亘って、移動検診というのをやった。日蓮宗が大きな移動検診車を買ってくれまして、あるいは郵政省のボランティア貯金から何千万もの支援が出て、やってきました。一万人以上のデーターを集めて、生活の風習とか、酒の飲み方とか、食べ物とか色んなデータの中から何で此処が肝臓癌、子宮癌、乳癌、喉頭癌と言うのが多いんだろうか。何でこういう癌が発生するのだろうかとやってた。それはそれで成果を上げたんです。WHOが参加してきまして、タイの政府が予算を出すようになりまして、非常に素晴らしい成果を上げたんですが、日本国内の反応が冷たいんです。
 おまえ何でタイで癌検診なんかやってんだ。おれの爺さん癌で困ってんだ。おまえんとこで何とかしてくんねいか。日本だって三人に一人は癌で死んでんだと。何でタイへ行ってそんなことやらなきゃなんないだ。やるんだったら日本でやれよ。こういう考え方の人が非常に多い。で、私はどういうふうに応えるかというと、あ、それはそうだ、日本だって確かに大変だ。だけど日本人だってタイ人だって同じ人間なんだ。これ全然関係ない。日本で僕が検診車を走らせるのと、タイで検診車を走らせるのは全然それは差が無いんだ。俺はタイが向いているからやって居るんだ。あんたがもし日本でその気があるんだったら是非やってくれと言って任せる。
 どうも線を引いてしまって、タイ人と日本人、ラオス人と日本人とかアメリカ人と日本人とか、こうしたがるんですが、これから先はもうこうゆうことは通用しません。だって今皆さんが黙って座ってる間に消費している酸素、この五十パーセントがもう、外国から貰ってるんです。
 日本国内で発生している酸素は日本人が必要とする酸素の量の僅か半分、五十パーセントしか無い。残りは全部外国から。外国を無視して生きられないんです。酸素の五十パーセンになったら大変です。富士山の上でマラソンやるような物ですから、もう苦しくて苦しくて、酒も飲めません。謝ってもちゃんと酒の飲める国にして置いて欲しい。そのためにはやっぱり酸素がどんどん発生するような豊かな森が残ってて貰わなければいけない。綺麗な海や綺麗な湖や河がそのまま世界中に残って貰わなければいけないんです。その為に私達はやって居るんです。
 だから、先ほど所長さんからお褒めの言葉も頂きましたが、何だかんだ言っても自分の為なんです。自分が将来ちゃんと息をしたい、酸素も吸いたい、ご飯も食べたいので、じゃその為にはどうしたらいいか。考えてみると廻りの人達を、一寸生意気な言い方ですけれど、幸せにして上げると言いますか、廻りの人達が困らないような状態を作るということが、結局は自分を助けることだと言うことでやってるわけで、そういう意味で実は私はボランティアと言う言葉が大嫌い何です。
 私は人の為にやってるんじゃなくて、自分のためにやってる。何時までも美味しいお酒が飲めるように、美味しいキリタンポ鍋が食べられるようにと言うことでやっておりますので、偉いおっさんだと思わないようにしていただきたいと思います。

 本題に入ります、アジアの子供達と言うことに限定して話しを進めていきますと、実は世界では子供達が二秒に一人死んでいると言う話をしましたが、アジアで限って言いますと、東南アジアに限って言いますと、飢えると言うことはほとんどない。しかしさっきも申し上げたように腹一杯食えるから健康かと言うと決してそうではない。栄養等のバランスの問題がありまして、様々な影響が出ております。そう言うことの結果として、例えば平均寿命なんかが短くなるんです。
 私が今仕事をしているラオスでは平均寿命は五十二歳です。そうすると日本人の女の方はもう八十三歳か、四歳くらいですか平均寿命が、三十年違うと言うことは大変なことです。一ケ月でも延ばすったて大変なんですから、平均寿命と言うのは。それが三十年違う。我々の感覚では、いや可哀想にラオスの人五十二歳が平均寿命。
 ところがラオス行ってみますと、そんなことを苦にしている様子は全然ない。平均寿命が短いなんてことは、何にも考えないんです。先のことを考えない。その日の生活が楽しく、豊かで有ればそれで良い。そういう生活をして居られる。
 日本は先のことばっかし考えて、こうなったら困る、困るだから胃癌が多いんです日本人は。タイとかラオスでは殆ど胃癌なんて無いです。あんなに辛い物食べて、塩だって結構使ってるのに胃癌なってほとんどない。これは私共の会が八年間かけて調査した結果ですけど。色々理由は出て来るんですが、最後はそこです。のんびりしてるんです。一生のんびり送るって良いんです。

 今回ラオスの学校建築が始まりましてから、色んなお客さんが現地にお見えになる。特に日蓮宗のお坊さんが全国から来て、とにかく見たいと言うことで毎年この二月から三月にかけて団体でお見えになる。そう言う方々が、殆どが口を揃えて同じ事を言う。この国には平均寿命が短くて、貧しいと聞いていたからもう、悲惨なことばかり考えてきたが、全然違う、きっとこの国の人達が感じている一年は、俺達の考えている一年の三倍ぐらいあるぞ。 長いんですもの、一日が。終わらないんですもの、朝、季節によって違いますけれども、六時頃太陽が上がります。十時くらいまで涼しいうちに一寸水牛を追いかけて、田圃を耕す。十時から三時くらいまで、あの太陽がもうギラギラと照りつけるような時は、もう止め。仕事を一切辞めて、木陰で昼寝。昼寝だけじゃない。必ずそこに酒が付く。酒がつけば歌が出る。歌が出れば踊りが出る。それで、こうして踊ってるんです。三時頃まで。三時頃になっておう、そろそろやるか。二時間くらい又田圃へ行って、仕事らしい格好だけをして帰ってくる。それを家で待っている奥さんだって、あんたちゃんと仕事をしてきたと攻めりゃしないんです。
 あるいはその木陰で始まった酒盛りでしっかり酔っぱらっちゃって、皆が仕事をし始めてるのに、寝転がってる人がいっぱい居るわけです。それをおい、おまえ仕事だぞ、何てつっく人なんかいない。あるいは工事現場に行きましても、十人、二十人の作業員方が働いてるけれども、じっと観察してると、ちゃんと動いているのは五人くらいしか居ない。後の十五人は煙草吸ってじっと見ている。それを文句いわなんです。次の日になってみると昨日煙草吸ってた奴が一生懸命働いている。昨日一生懸命やってた奴が寝ころんで漫画の本か何か読んでいる。そういう国ですから。あれじゃ気持ちがいいですよ。
 あくせく働いて、働けば働くほど、長生きをすれば長生きをするほど色んな苦労がある日本より、そう言う苦労が一切無いあちらの方がずっと良い。
 「アジアの子供達は今」で、悲惨な話を聞きたかったでしょうけれど、確かに長生きもしない、電気もガスも水道もない、村に入ると、何にもございません。トイレがない。これ凄いでしょう。一寸うなずいている方は私らの時もそうだった。昔、うん、山の中に行けばトイレ何か無かった。葉っぱで拭いた。中国じゃ縄でお尻を拭くんだそうですが、私なんかとってもじゃない、あんなことしたら、ヒリヒリしてしまいますが、未だにトイレの無い生活をしてんです。電気、ガス、水道、トイレなしです。勿論電話なんか無い。テレビもない。吉幾三の歌よりもっと凄い。
 だけども、どうもそちらの生き方の方が豊かに見えます。僕らからは。とろこがそれは、先進国側から見たエゴでして、我々は戦後五十年の間に非常な発展を遂げた。凄く便利な生活をしてその弊害も起き始める。空気の汚染から、水の汚染から、地球の温暖化、緑が無くなるとか、そいうのを体験して、いや、一寸待てよ。これ不味いなという気持ちがあるもんですから、そう言う自然のままに生きているラオスの人達をむしろ羨ましいとさえ思う。 ところが、現地の人達はそうは思っていない。とにかくいつの日か日本かアメリカのような国になるんだ。それが目的。
 バングラディシュと言う国ご存じですか。昔の東パキスタンです。パキスタンから独立してバングラディシュと言う国になったんですが、あの国は、日本のような国になろうっと言って国旗を日の丸と同んなじにしたんです。白地に赤でなくて、緑に赤なんです。つまり綺麗な大地の緑の国ですから、緑地に真っ赤な日の丸です。ところがいつまで経っても日本のようになれない。最近では一寸後悔し始めてるようですけど。旗が間違ったんじゃないか。もっと他の旗にしておけば豊かになったんじゃないかと思ってるようですけど。それ程向こうの人達から見ると先進国というのが羨ましいんです。
 だけど私達はもう経験したでしょう。そういう発展というものが人類に本当の意味で寄与してないんだと。発展して便利になったことも確かに有ります。私が子供の時にはどの家にもたらいと洗濯板しかなかったんで。あの四角い洗濯石鹸と。しかも台所も洗濯をする場所も全部一緒で地べたに、べたっとセメントを固めた流し台が置いてありまして、そこでゴシゴシ洗濯するわけです。飯を食うと言ったらとにかく薪を割るところから始まって火吹き竹ふうふう吹いて、私は、妹とよく大蒜を放り込んでその真っ黒になった大蒜をふうふう言いながら食べて、お兄ちゃん美味しいね、何て言ってやったわけです。
 風呂の水だって、一々汲みに行かなきゃいけないし、冷蔵庫はないから生の物で、私静岡ですから、鰹一匹貰ったりしたら、大変です。一匹食えませんから。全部おろして刺身にして近状中に配る。そうしなければ腐っちゃいますから。お互いにやってましたよ。これは助け合って優しい時代でした。
 それが冷蔵庫が出来、洗濯機が出来、炊飯器が出来るようになったら、子供達が台所に行って手伝おうとするのを親が断るようになった。良いよ、あんた台所なんかしなくても勉強してこい、宿題やったの。台所から追っぱらうようになった。家の中の協力関係が全くなくなる。近所との協力も必要なくなる。こんなでっかい冷蔵庫買っちゃって、全部買った物から、貰った物から全部詰め込んで最後ミイラになって、お父ちゃんこれ喰えないね。棄てちゃえ。あういうふうになってから日本中はどんどん貧しくなったでしょう。それを実は私達教えて上げたいんです。ラオスの人達に。
 じゃあ、何が必要か。そう言うことを学ぶ機会。つまり教育を受ける機会が必要なんです。皆さん今タイと言う国が、通貨危機で大分問題になってますけど、凄い経済成長を遂げてきましたけれども、あの国でも、一寸田舎に行きますと、自分の名前が書けない人が居るんです。文字が書けない人。義務教育は短かった事はありますが、今は六年制になりました。で、六年制になっても一緒なんです。学校で文字を習うでしょう。タイ語のアルファベット、あいうえおです、日本語で言えば。これを覚えて卒業して二年経つと全部忘れちゃうんです。何で忘れちゃうか、それは日本のように、新聞とか雑誌とか言う物が有りませんから、活字がないんです。身の回りに、だからしゃべる言葉は普段使ってますから、忘れません。もう赤ちゃんだって喋るわけですから。活字に触れないで二年居ると忘れちゃうんだそうです。文字を。これはラオスでも全く一緒です。
 そういう状態ですから、世界の動きですとか、政治とか文化とか経済とか歴史とか地理とかは全然入ってこないです。ただたまに訪れる日本人やアメリカ人の観光客の持っているカメラどかね、ウォークマンとかを見て、いやあ、日本なんて良い国だなあ、あんな物みんな持ってるぞ。ようし、俺達も豊かなってああいうものを手に入れてやろうじゃないか。そう言うことは、自分で見ますから判りますけれど、しかしそれがどうゆう結果を実はもたらしているか。小さい子供達があんなものばかりやっているから、耳の聞こえない子供が増えているだとか、あるいはああやって自分の世界に閉じこもってしまうもんだから、人との会話が出来なくて、人との付き合いが下手になってきてるとか。そんなことは一切見えてこないんです。 これはやっぱり教育なんです。私は発展途上世界の人達を本当の意味で豊かになっていただく為には教育のチャンスを作って差し上げる事が一番じゃないかと思うんです。
 よく皆さんは発展途上世界はそのままで貧しいと思ってらしゃる方が多いんですが、今私がお話ししたように確かにお金もないし、物もないし、何もありませんけれども、だからそれがそのまま貧しいと言うことではないんです。発展途上世界でもし貧しい物があったとすれば、それは無知という貧しさですね。無知、無能じゃないですよ。つまり知識がないと言うことです。これは決してあの人達が怠けていて、知識が無いんじなくて、知識を与えられるチャンスが無いと言うことです。
 これが二秒に一人子供が死ぬんでいくとか、五歳まで三百人もの子供が死んでしまうとかということにも実は、繋がってくるわけです。
 私共の会で1981年、ですからもう十七年位前に、ラオスに井戸を堀に行ったことが有るんです。その時に、確かに井戸有るんです。ラオスだって。井戸無ければ水が飲めないわけですから。何で外国かのプロジェクトが必要かというと、井戸と便所を離して掘りなさいと言うことを教えないといけないんです。そんなこと一寸考えたら判りますでしょう。それに気が付かない。あるいはトイレに行ったら手を洗いなさい。川でウンチをするんだったら村の下流の方でしなさい。上流でするとその下で洗濯したり野菜を洗ったりしているお母さん達の所に、ウンチそのままがぷかぷか浮かんで行ってしまうから、下でしなさい。
 そこからやらなければいけない。教育を。つまり逆を言えば、それすらも教えられていないと言うことなんです。そのプロジェクトはユニセフのプロジェクトでしたから、数年続けて私共は撤退したわけですけれども、その時に痛感したんです。ああ、これは教育だと。カルテに名前を書けないタイのおばさん達を見ていても、やっぱり教育をしなければいけない。識字教育からです。
 
と言うことで学校建築をやろうと言うになったわけです。現在ラオスで小学校の建設と言うのを進めてるわけですけれども、ラオスはあの辺の国の中では、数字に表れた豊かさ。経済力では最貧国です。GTP。国内総生産、一人当たりのGTPが大体三百ドルと言いますから、しかも人口は僅か四百五十万人しか居ないわけですから、国力そのものがどれ程弱いかと言うことが判ります。東南アジアの中でもタイとかベトナム、それからカンボジアがちょっと内戦状態で危ないんですが、あるいはシンガポールですとか、マレ-シアですとか、これはもう成績がいいわけですが、そういうのと比べても雲泥の差が出来ちゃう。出来ちゃってる。
 ところが国の中に入ってみますと、その貧しさというのが全然出でこない。これは、色んな事情が有るんですが。一番の理由は貧富の差がないと言うことです。タイに行きますと、バンコクなんか人口の大体二割くらいがスラムに住んでるんです。なんであんなに沢山のスラムが出来てしまったのかというと、結局豊かな人達が出来て来たもんですから、それに憧れて人が集まって来るんです。ところが集まって来たって、幾ら憧れたって同じ様な豊かな生活なんら出来ませんから。場所だけは大きな都会に住むんですけれども、仕事がありませんからそこにスラムを形成してしまうんです。
 ラオスには、つい五年前までは、物乞いの姿もなかっです。みんなが貧しい。物乞いに行ったてくれる人が居ないんです。ところが最近になってタイとラオスの間に橋が出来まして、陸続きになる。大勢の外国人の観光客が出入りするようになったら、今、子供達が金呉れと言って、レストランなんかに出歩くようになってしまって、非常に具合が悪いんです。私はまだ間に合うと思って居るんです。ラオスの人達に、さっき申し上げた日本やアメリカのような生活を追いかけるのが本当の豊かさでなくて、あなた方が今までやって来た、ついこの間まで持っていた心の豊かさ、これこそが最も尊い物であると言うことを何とか教えて上げないといけない。
 日蓮聖人も仰ってるでしょう。「蔵の宝より身の宝。身の宝より心の宝すぐれたり」と。正にその通りなんです。それを実は持ってたんです。持っているはずなです、ラオスの人達は。それをこのままにしておくとその一番大切な物を失ってしまう。そこで、学校なんです。
 私達の学校建築と言うのは、ラオスの政府と一緒にやっています。ラオスの政府と言うのは、さっき申し上げたようにGTPが三百ドルで三百掛ける四百五十万人ですから。本当に日本の一つの県の予算よりもっと少ないような、小さな国家予算でやってるわけですから。これはもう、教育の機会、機会としての校舎を作るなんて能力なんて無いんです。
 で、ここに私共が参加いたしまして、ラオス国家計画協力委員会と言う政府の組織が有るんですが、ここと協定を結びまして、1995年から三年づつ協定を変えて行くんですが、毎年五校づつ学校を作ろうと言う事で始めました。実際私共の会は1993年に第一校目を作ってまして、今の段階で三十六校の小学校が完成してます。この内の半数以上が日蓮宗の宗門、日蓮宗の宗務所単位、それから日蓮宗のお寺、一ケ寺で一つ建てて下さる。それから日蓮宗の檀信徒の方々からの寄贈による学校が、これ半数以上です。
 それから、その残る半分の六割位が天台宗なんです。これは面白いです。天台宗と言うのは日蓮宗の親みたいなもんですけれども、その他宗の坊さんがやっている活動に、宗門挙げて参加して来るんです。天台宗でも。もう七校ぐらい作ってますか。来年になりますと四校、乾期に入りますと、建設を始める。これは、私共の活動が決して布教活動ではない。しいて言えば仏教の布教かもしれません。仏教の布教。しかし、日蓮宗でじゃなきゃ、日蓮宗だからと言うふうなつもりで決してやっていないと言うことが理解して頂けたんだと思います。
 現地に行って私達が日蓮宗の者なんですと言ったって通じないんです。つまり向こうは日本の仏教徒としか見ない。だからそれが天台宗であろうと浄土真宗であろうとそんなこと一切お構いなしで、ああ、日本のお坊さんや日本の仏教徒が建ててくれた学校と言うふうな判断しかされないんです。
 しかし、これは大きいですよ。今ラオスに沢山の民間団体が入り込んで学校を作ってますけれども、三年半に三十六校作ったなんてうちがトップですから。目標は全部で百八校。判るでしょう。百八と言えば。成る程、成る程大晦日の鐘だな。大体そのくらい判ります。何で百八になったかと言うと、本当は五十校作ろうと思ったんです。1993年に始めた、トントン拍子に出来るから、いやあ、これすぐ五十校になちゃう。行っちゃうと俺、目標無くして、あの世に行っちゃうと困るなあ。ちっと目標増やして百にしたんです。
 ラオスの仏教界の会長に会いましたときに、仏教界の会長が、お前ラオスで何してんだと言うから、いや小学校作ってると言う話をしたら、幾つ作るつもりだと言うから、百と言ったら、その仏教界の会長さんが。偉い人なんです。長老ですから。それがね、静かに目を閉じて、合掌しました。私の前で。貴方は間違ってますと言う。ええ困ったなあ。偉い坊さんに間違っていると言われ、どうしょうと思った。何か私悪い事しましたでしょうかと言ったら、貴方悩みが多いようですから、百八作りなさい。そうしたら貴方は救われますなんて、坊さんが坊さんに説教されて、はは、左様でございますか、じゃ有り難く百八校にさせていただきます。それで百八と決まっちゃったんです。
 これも、しかし楽しいでしょう。普通我々の感覚だったら助けてくれる側の人、助けられる側の人と言う考え方で、助けられる側の人が、助ける側の人に、あんた間違ってる何て事普通発想として出てこないでしょう。そう言うことがちゃんと出来ると言う事が、このラオスの良いとこなんです。相手がアメリカ人の大金持ちであろうと、アラブの石油の王様であろうと、全然関係ないんです。自分の立場で堂々と生活している。貧しいんです。世界で一番貧しい国なのに、そんなことは何にも不幸なことでない。恥ずかしい事じゃない。この豊かさを残したいんです。
 小学校がラオスには八千校のと言うより、八千ケ所の小学校と言われる場所が有るんです。ラオスは北は中国に接している。南はカンボジア、東はベトナム、そして西はタイとビルマです。これに囲まれた内陸国。その全土に、八千ケ所有るんです。学校と言われる場所が。所が其処にちゃんと校舎があって、先生が居るのは僅か二千五百カ所位しかない。残りは場所があるだけなんです。その場所に学校を作っていこうと言うんです。学校を作るときにまずラオスの教育省がリストを作ります。この村に学校が欲しいと言う要望が来てる。大体二十校分位のリストが乗っているんです。それはベトナムの国境からタイの国境、中国・カンボジアありとあらゆる所から来る。それを全部調査して廻る。と言うのはやっぱり皆さんからお金を預かって、学校を作るのに、知らない、行ったこと無いと言う所に作れません。 其処に学校作って本当に先生が来てくれるのか、生徒が何にいるのか、村人がちゃんと管理できるのかと言うこと全部調べなければいけませんから。全部調査して廻る。良しと言うことになりますと、その学校にランクを付ける。ABCDと。AランクとBランクはお金が集まり次第すぐ工事を始める。Cはまあどうしてもと言うことで有ればやろうかな。Dは一切建設をしない。この建設をしないというのは、色々事情がありまして他の団体が入り込んでいるとか、他の団体からお金が貰えそうだ。と言うところがある。重なっては勿体ないですから。そう言う所はどんどん外していく。とにかくABCの順に学校作って行くんですが。

 その調査に行くときに、各村を廻るでしょう。見ず知らずの日本人が突然行くですよ。別に調査に行きますから宜しくお願いしますなんて、事前の了解なんか得ない。だって電気もガスも水道も電話ないんですから。了解の得ようが無い。取り付けようがない。だから自分で村に入っていく。リュックサック背負って、カメラ下げてノート持って、村の様子を写真に写したり、メモしながら歩く。すると村人が、おうい、日本人が来たぞ。判るんです、日本人って。おーいそこの日本人と、こう呼ぶわけです。そこの日本人です。このジーポンとこう呼ぶわけです。はいと答えると、こいこいと、こっちは仕事中だから、呼ばれたって困るんだけど。向こうは善意で呼んでくれるのが判るから、僕も行くんです。すると、飯食ったかと言うんです。飯食ったか、これ挨拶なんです。
 東南アジアは何処へ行ってもそうなんです。飯食ったか。だから飯を食うと言うのはやっぱり大切なことですから、こいつ飯食ってんだろうかと本気で心配するんです。で、私朝出たっきり飯なんか食ってませんから、食ってねえと、それはそうです。セブンイレブンも何もないですから。森の中ですから。そんなとこで飯なんか食うわけがない。食ってねと言う。おお、寄ってけ、寄ってけ。呼んでくれる。高床式の、もうお世辞にも立派だと言えない家です。家の中真っ暗。昼間でも。じっとして、五分くらいして目が慣れて、見てみると高床式の、床の上に灰を置いて土間を作っている。そこで夜になると薪でもくべるんでしょうね。そこでお湯は沸かす、飯は作る、家財道具なんか何もない。きったないヨレヨレの布団が横の方に積んであって、あと服です、洗濯機何てありませんから、その辺の川で洗濯するんでしょうけれども、きったない垢で汚れた奴が、置いてあるだけ。で、食器に至っては多分十年以上洗ったことないです。あの食器。本当に。真っ黒でしかもかすがこびり付いてるんです。このお皿厚いお皿だなと思ってみると、昔の、その前の日。ずっと前の日の洗い残しが全部たまってたお皿なんです。出してくれる。で、お米は全部餅米です。日本では餅米というとお祝いの時しか食べませんけど、向こうは餅米が非常に良く取れるものですから、お腹に良く持つでしょう。僅かな量で。だから全部餅米なんです。それを手で食べる。竹で編んだ駕篭がありまして、弁当箱見たいな。そこに餅米がドサッとはいってまして、さあ、日本人お前喰っていけ。お米と野菜。野菜ったて、ちゃんと名前なんて、葉っぱですよ。葉っぱ。それから川で取ってきた魚を乾かしたやつ。それだけがご馳走。それを只片手で黙々と食べる。
 しかしね、皆さん考えてご覧なさい。電気、水道、トイレなしです。突っ込んでるあの手。ついさっきまで、あれ、おい、もしかして、汚い、拭いたんじゃないかとか。よく見れば何やら黄色い物がくっついているような気もするし、とにかく水で手を洗うなんて、発想有りませんから。あんな大切な物ものないですから、水何て言うのは。平気で食べる。私も最初はさすがに大変でしたが、最近慣れました。
 ラオスの人と言うのは見ず知らずの人にご馳走をするというのは最大の喜びなんですって。その人達が又喜んで食べてくれるのがもっと嬉しいんですって。それ知ってるもんですからああ、有り難うございますと言って食べます。だから私なんか日本中がO-157で死んでも、私は絶対死なないなと思います。ご飯時でなければ水を飲ましてくれる。おうい、日本人のどかわいてねえか。喉乾きますよ。乾いてる。それが雨期なら良いんです。雨期ならドンドン雨が降ってきますから。上見てああと口開けてれば水が入ってきますから。乾期に入りまして、大体十一月頃から乾期が始まるんですが、三月、四月位になると前の年に降った雨を瓶に貯めて取って有るんですが、もう、底付いてるんです。そんな時に、おうい、水飲んで行けと言われても申し訳ない。自分たちの飲む水もないのに、いいよ、俺、我慢してりゃ三時間程我慢してりゃ、又ビエンチャンの町へ帰れば水だって麦酒だって酒だって飲めると思うんだけれど、向こうはそうじゃない。喉乾いてるんだから飲んでいけ。
 向こうで一番美味しい水は雨水、その次は井戸の水、川の水、池の水とこういうふになっている。雨の水はお客さん用なんです。自分たちは汚れた井戸の水を飲んでます。濁った。お客さん来たぞう、お母ちゃんから何からみんな出てきて喜んで、まあそこに座りなさいと言って水を汲みに行く。カーンと言う音が一発聞こえまして、コップに入った水を持ってきてくれる。まあそのコップだって皆さん想像して下さい。コップってガラスで出来てるでしょう。向こう見えるはずじゃないですか。これなんだろう。陶器かな、陶器にしちゃ馬鹿に黒い焼き方だけど、なんだいこれ。やっぱり洗ったことのない元コップです。これに入ってくる。こうして覗いてみるとボウフラの抜け殻が一杯泳いでるんです。泳いでるんで。で、何時もの事だからしょうがない。帰り際黙って飲みますけれども、当初はね、気になりました、ボウフラの抜け殻が泳いでる、こうして見て、飲まないでいると、村のおばちゃんがあんた何で飲まないと言うから、一寸これ見てくれよ。あのな、ボウフラと言うのはな、汚いところには絶対住まないから、お前安心して飲め。この水は絶対毒はない。もし毒があったらボウフラなんか絶対卵、蚊が卵を生まない。さっきカーンと鳴ったのが結局浮いているボウフラを沈めるための音だった。柄杓の柄で瓶の縁をパーンと叩くんです。ボウフラがひぴよっと驚く、沈むでしよう。その時柄杓をぽーんと持ち替えてババンーと上をすくって、所が抜け殻は驚きませんから、上にぷかぷか浮いている。それがどうしてもコップに入っちゃう。と言うことなんです。向こうは自慢なんです。ボウフラの水。皆さんこれ覚えておくと良いですよ。地震が来て飲むものがないと思ったらボウフラの浮いている水を飲めばいい。只ボウフラそのものを飲みたくないなと思ったら廻りをカーンと叩けば沈む。
 こう言うこともやっぱり、体験で、段々慣れて来るんです。有るところで、ベトナムの国境に近い山の上で調査してましたら、静岡に登呂遺跡と言う弥生遺跡がありますでしょう。登呂遺跡、弥生式時代の米蔵と言うのは、高床式米蔵。あれと同じのが現役なんです。まだ、タイとかカンボジアとかラオス、ベトナムの田舎へ行くと。でこうして見てた。そしたら長老が出てきて、なんだ日本人お前こんなもの珍しいのかと言うから、僕も本当はやあ、これは、日本じゃ、二千五百年前に使用中止したと言おうと思ったけど、さすがにプライド傷つけちゃいけないと思って、日本にも同じ様な物有るんですけと、一寸違うところが有るんです。何が違うんだ。いやこいつは、ネズミ返しが付いてない。日本のやつはネズミ返しと言って柱の上に板があるでしょう。ネズミが上ってきてもそれより上に、つまりお米が食べに来れないようになってる。ネズミが諦めて帰るわけです。そりが付いて無いという話をしたんです。そしたら長老が、僕が地面に絵を描いて説明したんです。じっと見てね、ふっと顔を上げて、僕の顔を見て真剣にこう言いました。お前さ、こんな物くっつけちゃってネズミどうやって飯喰うんだ。お米というのは人間だけが喰ってる物じゃないだろうと、ネズミだって雀だったみんな米喰って生きてんだ。何でこんな物でネズミをあれしちゃうんだ。ネズミ飯喰えなくなるんじゃないかって、真剣な顔をして言うんですよ。僕に。
 僕はそれを見たときに、普通だったら、だってそんなんの、汚いでしょう。ネズミが中で小便でもされたら臭くてしょうがないし、それが元で伝染病だって有るんだからと、本来ならそう答えるべでしょう。日本だったらそう言います。だけども、その純粋な村長さんだか長老さんの眼を見ていて、ああ、そうだこの人、そんなこと考えてんじゃないんだと、みんなで一緒に生きるということを、もう何の疑いもなく、織り込まれてる。心の中に。そう言われて見ると、家は高床式なんですが、高床式の下、そこは豚はいるは、アヒルは居る、猫は居る、牛は入れないから外にいますけど、それから七面鳥は居る、ひよこは居る、鶏は居る、もう、全部が生活をしている。それから一寸物を開けてみる。何か置いてある物、二三日置きっぱなしなった物を退けてみると、なに、サソリがそこに巣を作っている、それからたらいを持ち上げてみれば、コブラがそこで寝ている。毒蜘蛛はいっぱいる。そういうの全部一緒にして人生なんです。
 だから日本みたいに、ほら、大阪の方でセアカアカグモですか、毒蜘蛛が発見されたと言ったら、もう、退治して廻ったでしょう。何とか小学校何匹。何とか神社何匹。昔の軍艦が何機撃沈と全く一緒のような、あんな事やったでしょう。でもラオスはそんなことしない。確かに毒蜘蛛や毒蛇は危ないです。でも子供達にこういうところに行ってこういうことをすると、こういう蛇が居るから気お付けろと。蛇を見たらこういうことだけはするな。蜘蛛が居たらこういうことだけはするなと言うことを教えます。無益な殺生をして人間だけ助かりゃいいから、全部殺してしまえなんてことは絶対やらない。これは、そういうもの考え方を国中の人がしているから、国全体が柔らかい波の中に包まれて居るんです。
 だから面白いのは、それこそ日蓮宗の元の護法伝道部長さんで、九州の方でしたが、一緒に行ったんです。ある村の調査をしていて、煙草吸いながらその人が、ふっと、気が付いた様な顔をして、僕に、おい伊藤さん見て見ろよ。その人の言う所を見たら猫が昼寝をしている、その昼寝をしているすぐ前をニワトリがひよこをいっぱい連れて散歩してんです。そのうちそのひよこが、その猫の背中にピョンと乗っちゃったり、猫の鼻すれすれの所を通ったりする。それに対して猫が一言も文句を言わない。うるせいにゃん何て言わないんです。日本でそれやっご覧なさい。日本の猫。フウーと言うか、飛びかかるか。絶対やるでしょう。絶対やら無いんです。それから犬と猫が一緒に昼寝している。まあ、それは日本でも生まれた時から一緒に居る犬、猫は仲が良いです。そんな何処から来るか判らない犬と猫が一緒に居るなんて日本じゃ出来ないんです。
 それはもう大げさな言い方をすると、吹く風も、それから、森の木々も、それから川のせせらぎも全てが優しいんです。ラオスは。
 これは豊かです。それで学校建築の方は三十六校トントン拍子に進んでますけれども、本当にそれなりに成果もお陰様で上げさして頂いていますけど、やっぱり行けば行く程、向こうの方が豊かだとと言うことを教えられるんです。
 秋田は、私二回目なんですけど、まだまだ日本の中では心が豊かな方です。是非日本の国を全部秋田にしてしまいましょう。その為には、いわゆる発展途上世界と言われている人達、そちらの方が正しいんだと。東京の人の感覚で物事を考えちゃいけない。確かに東京に今まで政治や文化の中心が有ったかも知らんけども、それだってつい数百年の前の話で、ずっと昔の日本は何処が中心か判らんぞ、もしかしたら秋田県が中心だったかもしらん。だからそう言うお金があることが豊かだとか、物が沢山有ることが豊かだという価値観など一切棄てて貰って、心の豊かさ、これを求める。学校建築は実は人を助ける様な、かっこうしてますけれども、作れば作るだけ皆さんが助かりますので、どうか皆さんも参加をしていただいて、出来た時には全員は無理でしょうけれど、私も一寸ツアーコンダクター出来ませんので、何人かになるでしょうけれども、所長さんを筆頭に現地へ来ていただいて、成る程なあと、あのときおっさん言ってることその通りだと。正にその通りだと言うことを体験して頂きたいと思います。
 尚、今私がお話をしましたのは、私が十八年間の体験の百分の一にも満たない部分でございます。どうも今日は失礼しました。最後はお祖師様の前で失礼なことを申しあげましたけれども。ご了承下さい。どうも有り難うございました。