私たちの誓願
秋田県秋田市 法華寺住職 齋藤静秀上人
日蓮宗秋田県布教師会会長、日蓮宗立教開宗750年慶讃布教師
宗祖日蓮大聖人ご妙判報恩抄に曰わく
「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひられる功徳あり。無間地獄の道をふさぎむ。此の功徳は伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是ひとへに日蓮が智のかしこきにあらず。時のしからしむるのみ」
お題目を三遍お唱えいたします。合掌して下さい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
皆様お早うございます。今日は誓願大会、合わせまして第31回の護法大会と言うことで、県内遠近よりお集まりを頂きました。誠にご苦労さまでございました。まだ暑さが残っておりまして、蒸し暑い中本当に大勢の皆様方お集まりいただきまして御礼を申し上げます。
トップバッターを切りまして約45分間お話しをさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。
私はこのお寺に昭和40年代に一度お参りをさせていただきました。そして4年ほど前でしたか、私どもの寺の檀家の皆さんと又お参りをさせていただきました。そして今朝又お参りをさせていただきました。お伺いする度にご当山が立派に復興されておりまして、本当に素晴らしいことだなあと思って、感心をいたすと共に喜んでおります。こちらのご住職様始め総代、檀信徒の皆様方の御精進の心、本当に素晴らしいことだと思って、敬意を表しているところでございます。
仏祖三宝・諸天善神のお住まいになる立派な本堂が出来ましたが、これで決してお終いではございません。これからが大切なわけです。こちらのご住職様を中心として檀信徒の皆様方が仲良く、仲良くですね、肩を組み、手を繋ぎあって沢山の法華経をお堂の中でお読みいただき、又一遍でも多くのお題目をお唱えしていただきたい、こう願うところでございます。どうぞご精進をお願いいたしたいと思います。
さあ、皆さんどうぞ足をお楽になさってください。今日は私達の誓願と言うことでお話しをさせていただくことになっております。私どもの宗門は日蓮宗と申します。宗祖、宗門を開いた方は、申すまでもありません。日蓮聖人でございます。日蓮聖人が何処でお生まれになったか皆さんご存じですか。そうですね。今小湊と言うお話しが出ましたけど、安房の国小湊でお生まれになりました。
今日で言いますと、千葉県の房総半島の南の端の方。現在はお生まれになったところの近くに大本山誕生寺という、大変大きなお寺が建立されております。
貞応元年二月の十六日、西暦で申しますと1222年日蓮聖人はお生まれになりました。その当時のお名前を善日麿と申します。御歳12歳の時にお父様であります、貫名重忠公に手を引かれまして近くのお山にあります、清澄寺に勉強のために上がったわけであります。道善御房と言うお師匠様の下に付かれます。約4年間勉強されました。12歳と申しますと今で言うと、そうですね、小学校6年生ぐらいでしょうかね。その年でご両親様から別れまして道善御房のお師匠様の下で勉学をされた。約4年間清澄寺で勉強されたわけです。学べば学ぶ程段々日蓮聖人の胸の中には疑問を抱くようになって参ります。大きな疑問が二つございました。その一つは、鎌倉時代の世、お釈迦様の正しい教えは一つのはずなのにたくさんの宗派があり、そしてそれぞれの宗派が皆私達の宗派が正しい教えだと主張している。不思議だなあとこうお思いに成られた。もう一点は鎌倉の世は大変荒んだ世でございました。末法の時代に入りましたし、貴族の政治から武家の政治に変わったところでございます。飢饉やたくさんの疫病ですね、或いは流行病、まあ、今で言いますと伝染病でしょうか、そう言うようなものが流行いたしました。又、書物の記録によれば大地震がたくさん起こった。それから大風も度々来襲した。大風というのは今日で言いますと台風のことだと思います。或いは武家政治、お侍さんの世界でございますので、至る所で、戦が起こった、争いごとが起きた。お釈迦様の正しい教えがあるはずなのに、鎌倉の世は、なぜこんなに乱れているのだろうかということで、日蓮聖人は大変疑問を持たれた。この、とりわけ二つの大きな疑問を持たれた。その大きな疑問を解明すべく日蓮聖人はお坊さんになることを決意されたんですね。御歳16歳の時でした。お名前も善日麿から蓮長へと変えました。そして清澄寺のご本尊虚空蔵菩薩に「我日本第一の智者と成し給え」と願を立てたのです。必ずこの世を救わなければならないと言う決意を持たれたわけです。そして鎌倉へ出て勉学に励まれ、再び清澄寺に戻られました。後に今度は仏教文化の中心でありました比叡山へ遊学することになりました。御歳18歳の時お師匠様であります道善御房に別れを告げて比叡山に遊学の旅に出られたわけです。比叡山はご承知の通り東塔、西塔、横川と言う三ヶ所の行場がございます。大変気象条件の厳しい処でございます。とりわけ一番厳しいと言われている横川と言う所に拠点を置きまして園城寺、或いは四天王寺、三井寺、高野山などの諸大寺を廻りながら仏教について一生懸命学ばれたわけです。そしてこの荒んだ鎌倉の世を救うためには何が必要なのか、一心に勉強されたことだろうと思います。約14年間比叡山で勉学されまして、遂に本師、本仏釈尊の教え、唯一の一切衆生を救う教えは法華経に有りと言う確信を得たのでございます。法華経こそが私達、一切衆生を救う教えであると確信を抱いたのですね。
話しが一寸横道にそれますけれど、秋田県は禅宗が大変多いですよね、禅宗のお寺が。とりわけ曹洞禅が多いですね。曹洞宗の宗祖の道元禅師という方が居りますが、建長5年に京で亡くなられて居るんですけど、この道元禅師という方も法華経には大変関心を持たれ勉強をされていたんです。ですから道元禅師は亡くなるその年ですね、京都のご自分で静養しておりました処で、法華経第21番目の如来神力品と言うお経をご自分で訓読でしながら、静かにお部屋を行道され、その数日後にお亡くなりになられた。その時にここのお堂を法華庵と称せよと言って亡くなられたんです。そのくらい法華経には大変関心を持たれて居られましたし、勉強もされていたということです。しかし道元禅師は法華経は素晴らしい教えであるとは言っておりますけど、大変難解な教典であると言うふうにおっしゃって居るんですね。ですから今でも曹洞宗の皆さん方は法華経をお読みになりますけど唯一の教典とはしていないわけですね。まあ、横道にそれましたけど。
そんなわけで日蓮聖人はその後比叡山から古里の清澄寺に戻られました。道善御房、或いは兄弟子の方たちがお待ちになる古里の清澄寺へ戻られた。帰山のご挨拶もそこそこに近くにあります持仏堂に七日間お籠もりをしたわけでございます。ここに日蓮聖人の一つの大きな意義が有ると思います。清澄寺のご本堂御本仏でなくて、持仏堂に籠もられた。持仏堂はご承知の通りお釈迦様が祀られていた、お釈迦様の元で比叡山で学んでこられたことを総括された。もう一度新たに確信を抱かれた。こう言うことです。そして清澄寺の南東の突き出た岩山旭ヶ森の、岩頭に立ちましてね、太平洋上、東方遙か昇り来る太陽に向かって初めて南無妙法蓮華経と言う五字七字のお題目をお唱えになられたんですね。その時は日蓮聖人お気持ちはただ単ににお題目をお唱えしたと言う事だけでなくて、日蓮聖人のお心の底には「我日本の柱とならん」「我日本の眼目とならん」「我日本の大船とならん」と言う三つの誓願を心に秘めまして、お題目をお唱えになったと、こう言うことでございます。その時日蓮聖人は蓮長から自ら日蓮と名乗られたのでございます。時、正に建長5年4月28日のことでございました。それから数えまして明後年、平成14年が、初めてお題目をお唱えしてから750年目に当たりますよと言うことで、このことを立教開宗750年と言っているわけで、私達は今運動を展開しているわけでございます。
日蓮聖人は建長5年、西暦1253年、初めてお題目をお唱えになった。私達はその日を立教開宗の日と呼んでおります。簡単に申しますと、正しい教えを以て宗門を開いた。宗門の創立記念日と言ってよろしいかと思います。そう言うことでございます。日蓮聖人は後に当時の政治、経済、文化の中心であります、幕府も置かれておりました鎌倉へ出まして今度はご自分で見出された、お釈迦様の最高の教えである法華経をもってご自分が初めてお唱えになったお題目を持って鎌倉に進出したのでございます。松葉谷と言う処に小さな庵を結び、鎌倉の中心街大町小町辻々にお立ちになっては、法華経を読み、お題目を唱えることを一心に進められたのでございます。日蓮聖人は法華経を全て読むのと同じ力があるのがご自分がお唱えになった南無妙法蓮華経と言うお題目だと。法華経全て読んだと同じ力が有るのがお題目だった。お題目を一遍唱えれば、法華経全て読んだと同じ力がある。そうおっしゃられている。そのようにして鎌倉の辻々に立っては布教をされたというのであります。しかしその当時初めてお題目をお唱えになってもなかなか多くの民はこちらを向いてくれませんでした。その当時は鎌倉は念仏衆がほとんどでした。念仏衆、まあ宗門の宗ではございません。衆という字を書いてもろもろと言う意味でございます。念仏を唱える方々という意味でございますが、念仏が大変流行っておりました。弘まってたわけです。それは何故かと申しますと、先程申し上げました通り、鎌倉時代のその当時の世は大変乱れ荒んでおりましたから、ましてや中世に入って貴族社会から武家の社会、お侍さんが政治を司る時代になってきましたので、刀一本、槍一本で、力のある者は上に立てる時代でございました。ですから多くの民も伝染病や地震、大風、或いは戦、武士が政治を執ってるわけですからいつ戦に巻き込まれるか分かりません。大変荒んだ世の中。多くの民はもうこの世では幸せは掴めないのだ、いつ自分の命が絶たれるか分からないと言う不安や諦めの気持ちがあったわけでしょう。ですから念仏を唱えれば必ず極楽浄土へ行けるよという教えにお縋りしたわけです。当然と言えば当然のことでしょう。念仏を信じていれば西方浄土、西の遙か世界に行けば、亡くなった後ですね、阿弥陀様、阿弥陀如来というのがおいでになって、一日中、一年中気候も穏やかで、着る物も、食べるものも充分にあって、それは極楽極楽と暮らせる世の中である。或いは、東の方遙か彼方の国に行けば、一生懸命念仏を唱えてですね、亡くなった後遙か彼方の東の方、浄土、お浄土に行けば、今度お薬師さん、薬師如来がおいでになって、あそこが痛い、ここが痛い、この病気があると言えばたちどころに直して頂いて、西方浄土と同じに極楽極楽と暮らせる世界が有るのだと言う教えであったわけですね。ですから鎌倉の多くの民はもう、この世は、先程申し上げました末法の世でありましたから、末法の世にはもう、希望がない。亡くなった後ぐらいは極楽極楽と幸せに暮らしたいもんだと言うことで念仏を一生懸命唱えていた。記録によりますと、鎌倉の八割、いや八割以上と書いてありますから、おそらく殆どの方がお念仏を信じていたんではないでしょうか。そう言う中で日蓮聖人は敢然と立ち向かって、町々に辻に立っては法華経を弘めお題目を唱えなさいと言うことを一心に布教したわけでございます。それはそれは大変なことでした。何故日蓮聖人が鎌倉の世に出で法華経を弘めお題目を唱えることを勧めたかと言いますと、ここが大事な所でございます。
遙か彼方、何処にあるか分からない西方のお浄土、あるいは東のお浄土、そんなところよりも今生かされている私達のこの世、鎌倉の世が、今この末法の世が救われなくて、何処に幸せがあるのか。ここが日蓮聖人が力を入れて布教したところでございます。ここが今日の一番大事なところでございます。遙か彼方、何処にあるか、十万億土とか、或いは浄瑠璃土などという遙か彼方の世界のことを言うのではなくて、今生かされているこの世、今生かされているこの世が幸せにならなければいけないのだ。そこで日蓮聖人は一心に布教された。勿論ご自身が名を高めようと言う気持ちは毛頭ございません。多くの民が幸せになれば、日蓮聖人ご自身はどうなってもよろしいと、不惜身命の思いでと御自らおっしゃられている。自分の身命、身体も命もどうなってもよろしい、惜しむことはないのだ。こういうお気持ちで布教に専念されたのでございます。それじゃ、その法華経と言うのはどういう教えなのか、と言うことになってきますよね。法華経は皆さんご承知の通り、お釈迦様がインドの北方の霊鷲山というお山で、晩年八年間、霊鷲山の山中、山の中で説法された。お釈迦様が遙か昔に説法された。その教えを後に纏められたのが法華経の教えと言われておりますね。正式には、今日には妙法蓮華経と言うお経が残されている。お釈迦様が晩年八年間説法された、言ってみればお釈迦様の煎じ詰めたところと言いましょうか、お釈迦様の最後の最後の一番有り難いところの教えと言いましょうか。それが法華経の教えである。それを日蓮聖人がたくさんの、八万四千以上もあるといわれる、お釈迦様の教えの中から法華経を見出されて、是こそが私達を救う経典であるというふうに言われたわけですね。皆さん方はこのお経を、法華経、正式には妙法蓮華経と言いますけど、良くお読みになっているだろうと思います。一番良くお読みになるのは何処でしょうか。二十八章まで有りますけど、一番良く読むのは十六章、十六番目でないでしょうか。如来寿量品第十六と言うお経ですね。お経の一番最後の漢詩の部分が私達が一般的にお自我偈と呼んでいますね。自我得仏来から速成就仏身までが、これが寿量品第十六、第十六章の一番最後のですよね。是を読まれるのではないでしょうか。その次はどうでしょうか。第二章でしょうかな。方便品第二というお経を読まれるんでないでしょうか。更にお読みになる方は第二十一章。如来神力品第二十一と言うお経を読まれるんじゃないでしょうか。
このお経も時間がありませんからかいつまんで簡単にお話いたしますと、第二章の方便品にはこういうふうに書かれて居るんですよ。私は、私というのはお釈迦様ですね。私は仏になる。皆さんあなた達は私の姿を見て仏になるのは難しいだろうと思っているかもしれないけど、それは間違いだ。この私の説いた法華経を信ずるのであれば誰もが仏になることが出来る。こう説かれている。つまり二乗作仏が説かれているのです。第十六番目の如来寿量品では、私は私というのはお釈迦様ですね。私は死んでいく。姿が見えなくなる。しかし仏の命として私は永遠に生き続けるのだ。姿は見えなくなるが、わたしは何時も此処に在っても法を説いている。何時も此処にあっても教えを説いている。もし私に会いたいと思うのであれば、もし仏の教えを乞うと言うのであれば、私は何時も教えを説く。こういうふうに如来寿量品では説かれている。で、二十一章の神力品では未来世の、未来の世の私の子供達は、私の説いた大切な法華経をよく護りなさい。そして受持読誦解説書写、よくこの法華経を読み、理解し、そして写経、写して、そう言う修行をしなさい。この教えを護って次の世の人達に必ず伝えて行きなさいよと、又其の次の世の人達にも伝えて行きなさいよと、こういうふうに私達に訴えをしているわけです。そう言う教えであるわけです。ですからお釈迦様の説かれたこの法華経はどんなに若い方でも、どんなに年輩の方でも、あるいはどんなに賢い方でも、はかない方でも、あるいはどんなに大罪、大きな罪を犯した人でもこのお釈迦様の説かれた法華経を信ずれば誰でも仏になることが出来る。即仏になることが出来るのだ。是は必ずしも成仏できる、亡くなった後のことだけではないのです。今生かされている私達が法華経を一心に信ずれば仏のような心、仏のような生き方が出来る。亡くなった後は勿論ですけれども、今生かされている私達も、仏の心になれるんだと、こういうふうに説かれていますし、又、私達が日常この末法の世に、生きているということは、辛い事苦しい事悲しい事、さまざまな苦しみがあります。そう言う時に本当に法華経を信じて救いを仏様に求めるのであれば、寿量品に示されている通り、私は何時でもあなた達を救うとこう断言されているわけです。だから私達も法華経を一心に信仰すれば必ず救って下さるのだとお釈迦様はそうおっしゃってる。そして神力品ではこの私が説いた大切なお経をしっかりと勉強しなさいよと、何回も何回も法華経を読み、理解して、そして写して、そう言う修行を重ねて、そして次の世の人達に必ず伝えて行きなさいよと、こう私達に委嘱をしている。依頼をしている。こう言うお経である。ですから先程申し上げました念仏の教えのようにこの世はもう捨ててしまって亡くなった後に、何処にあるか分からない遙か彼方の浄土でなくて、今この世で必ず法華経を信仰すれば成仏出来る。成仏というのは亡くなった後のことだけでなくて、今生かされている私達が幸せになれるのだと言うことを説かれている。是が法華経の教えである。
じゃあ、今度はお題目、南無妙法蓮華経と言うのはどういう意味か。
先程日蓮聖人が建長5年4月28日に清澄寺の旭ヶ森の岩頭に立って、初めて南無妙法蓮華経と言う有り難いお題目を、後の私達に授けて下さった。南無妙法蓮華経と言う五字七字のお題目は今度はお釈迦様ではなく日蓮聖人が初めて唱えて私達に授けて下さった。南無妙法蓮華経と一心にお唱えすれば六万九千三百八十四文字あると言われている法華経を全部読んだと同じ力があるんだ、とおっしゃって下さってる。そのお題目を日蓮聖人が授けて下さった。末法の世に、私達に授けて下さった。仏教では正像二千年(正法千年・像法千年)、末法万年とこういうふうに言われています。正法というのは正しいに法律の法と書いて、お釈迦様の教えが充分に行き届いていた時代。そして像法というのはお釈迦様の教えがまだ辛うじて残っていた時代。そして末法というのは残念ながらお釈迦様の教えが行き届かなくなってきたような時代。先程私も末法時代と申しましたけれども、日本では平安時代からもう末法の時代と、こういうふうに言われています。ええ、正法、先程冒頭に日蓮聖人のお言葉、報恩抄をここで皆さんと一緒に拝読させていただきましたけれども、そこにも書いてございました。日蓮聖人もお示しに成りましたけど正法千年、像法千年、末法万年。或いは学者の方によっては、正法五百年、像法千五百年というふうに言われる方もいますけど、まあ、いずれに致しましても、今、もう末法の世でございます。末法の世となってしまったわけですが、日蓮聖人はそう言う中で、一心にお題目をお唱えしましょうということを、おっしゃられています。先程報恩抄で極楽百年の修行は穢土一日の功徳におよばず。こう私、日蓮聖人のお言葉を申し上げましたね。仮に極楽と言う所があるとしたら極楽で百年修行するよりも、穢土、今此の末法の世で一日修行する方がよっぽど価値がある。その方がよっぽど功徳がある。こうおっしゃられている。そこまで日蓮聖人は遙か彼方の極楽浄土を批判してるわけです。仮にあったとしても極楽なんて言う所で百年間修行したって、それよりもこの今の世、末法の世で一日修行した方が価値がある。力がある。そう言い切ってるわけですよ。そして正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、先程申し上げましたように、お釈迦様の教えが、充分に行き届いていた、或いは辛うじて行き届いていたような時代の二千年で布教するよりも、今此の末法の世に布教する方が未だ難しい。こうおっしゃる。それだけこの鎌倉時代の世は大変凄まじい世であった。そう言う中で日蓮聖人は敢然と向かって、この法華経を弘めて、お題目を唱えなさいよとこうおっしゃられた。お釈迦様の預言によればこの末法の世で法華経を弘めようと思えば大変な迫害に会うんだよと、お釈迦様は預言されている。日蓮聖人はそれをご承知の上で、お覚悟の上で鎌倉の町に立って布教された。ですから松葉谷で御法難にあったり、伊豆の御法難にあったり、あるいは小松原で御法難にあったり、最後は首を切られそうに成る龍の口、絶体絶命の御法難にあった。しかしこの日蓮聖人の信念、全てをクリアーして、日蓮聖人は一生を法華経の弘通とお題目を弘める為に、生涯をかけた。私達が少しでも幸せになれるようにと言うことを願ってそういうふうにして下さった。大変有り難いことだと思います。
先程は法華経のお話しをしましたけれど、今度は日蓮聖人が旭ヶ森でお唱えになったと言うお題目というのはどういう意味があるのか、ということですよね。法華経のことはさっき少し触れましたから、おわかりいただいたと思います。お題目は、南無妙法蓮華経。日蓮聖人が授けて下さいましたが、南無と言うのはサンスクリット語でナーモと発音する。私正しくは発音できませんけど。それを中国で鳩摩羅什が南無と漢訳された。漢字に置き換えられた。南無と言うのはご承知の通り、帰依する、おすがりする、身も心も捧げる。こういう意味を持ってるわけですよね。そうするとその下の妙法蓮華経。妙法蓮華経のみ教え、教えにすべてを私は捧げます。全てを信じます。身も心も法華経の教えに捧げます。こう言うお誓いが南無妙法蓮華経と言うお題目であるわけですよね。でも、これは文字から直訳した事でございまして、お題目の心と言えばいろんな学者の方が、述べられていますよね。私はね、いつもお題目と言うのは、こう言うふうに思って居るんですね。皆さん方は秋田の方ですから、秋田の千秋公園と言うのに、一回や二回いらしたことがあるだろうと思います。佐竹義宣公の居城の後ですよね。あそこは天守閣を持たない久保田城と言うお城でしたけど。しかしお堀はありますよね。広小路と言う通りにも面しています。お堀が残っています。其処には蓮の花がいっぱい植わっていますね。私はね、あそこに立つと、南無妙法蓮華経だなあと感じるんですよ。それはどう言うことかと云いますと、あのお堀の中にずっと顔を突っ込んでみますと底の方にはヘドロと言いますか、黒い醜い土がありますよね。魚が泳いできまして尾鰭をひゅーと曲げるとわぁーと真っ黒い粒子が水中に沸き上がって、汚いですよね。それが私はまさしく末法の世のような気がするんです。で、蓮というのはその末法の世に根を下ろして、地下茎を下ろしてそして、ある時期になりますと、そこからするするっと茎が水中から水面に上がってきて、あの蓮の花。きれいですよね。清浄な花を咲かせるでしょう。白とも言えず、赤とも言えず、ピンクとも言えず、あの素晴らしいきれいな清浄な花を咲かせる。下の方のヘドロと対比してみれば本当に違いますね。あの姿がね、私は南無妙法蓮華経の心だなあと思うんですよね。あのような真っ黒で醜い、末法の今の世にしっかりと根を下ろしたお題目、お題目を一心に唱えていると、やがてはあのような清浄な花を咲かせる。お題目を一心に唱えているとあのような清浄な心になる。まさしく蓮華の花だあ。蓮の花だあと、こんなふうに私は思ったのですね。皆さん方も色んな感じ方があるかと思いますけれども、南無妙法蓮華経と言うのはそう言う気がしてならない。お題目は日蓮聖人が後の私達に授けて下さったものでごさいます。
さあ、今度は少しはなしを変えまして、皆さん方宮沢賢治と言う方よくご存じだと思いますね。隣の岩手県花巻でお生まれになった。花巻で活躍された方ですね。37歳でしたか、若くして胸の病気で亡くなられました。宮沢賢治は詩人、文学者、或いは農学者、農業にも長けた方でございました。そして天文学者とでも言えるのではないでしょうか。大変多岐に渡って色々勉強された方でございます。数年前に生誕百年だったと言うことでございます。その代表的な詩に雨ニモマケズと言う詩がございます。どなたも一遍や二遍はお読みになった事があるだろうと思います。雨ニモマケズ、あれはまさしく宮沢賢治の法華経の心、お釈迦様の心を根底に持った作品でございます。宮沢賢治と言う方の文学作品は、全て法華経の教えに立脚した作品であるわけです。と申しますのは、宮沢賢治は大変な法華経の信者でございます。お題目をたくさんお唱えになりました。浄土真宗のご家庭にお生まれになったわけですけど、法華経を一心に信仰された。ですから作品の全ての根底には法華経の教えがあるわけでございます。ですから雨ニモマケズも、ちょっと頭に浮かべていただくとわかると思いますけど、法華経の教え、或いはお釈迦様の教えが全て現れている作品でございます。一日ニ四合ノ玄米でしたかとミソト少シノヤサイをと、少欲知足と言いましょうか、そして東に病気の子供在れば、怖がらなくても良いと言い、年老いた母がいれば、行ってそのイネの束を背負った。そして死にそうな人がいれば、行って怖がらなくとも良いと、励まし、喧嘩や訴訟があればつまらないから止めろと言っています。これは四苦八苦の中の「老病死」の苦しみから救おうということを表現しているわけですね。そして冷夏や飢饉などが在ればご自分のせいだと言って頭を下げ、いつも自分を勘定に入れず・・ここは凄いですよね。何時も自分を勘定に入れず。何時も自分は、人の為と言うことでしょうね。そしてデクノボウと呼ばれるような私でありたいとおっしゃってる。本当に宮沢賢治の作品を見ればお釈迦様の教えそのままではないでしょうかね。賢治こそ昭和の時代の、法華経の誓願行を行ったといえるのではないでしょうか。今度一つゆっくり、機会があったらお読みいただきたいと思います。
さあ、時間がありませんけど、先日ですね、私はある昔話の語り部の会というのに参加させて頂きました。それは今ブームになってますけど秋田弁で昔の話しを伝承すると言うことでございますけれども、聞いて下さったのは幼稚園児でした。小さい子供さん達でした。そして昔話の一つにこういうお話しをする方がおいでになりました。要約してお話ししますと、ある小さな兄弟が、姉と弟が花摘みに山へ行った。花摘みにあまりにも夢中になって段々山の奥にはいってしまって、今度は帰り道が分からなくなってしまう。お腹がすいてきまして、お腹はペコペコそして陽も段々傾いてきて心細くなってきて弟が泣き出してしまう。お姉ちゃんは弟の手をつないで、お姉ちゃんも一緒になって泣きたいんだけど、歯を食いしばって堪えてる。お姉ちゃんも泣いてしまえば弟はもっと悲しがるだろうと思って、お姉ちゃんは一心に歯を食いしばって泣くのを堪えている。べそをかきながらどっちへ行ったらいいだろうか。こっちかなあ、あっちかなあと、うろうろしている。そうして困っているとそこへ森の精が現れる。あなた達どうしたの、と尋ねてくれた。そうすると、お姉ちゃんが実は花摘みに山に来たんたけれど夢中になってしまって帰れなくなってしまった。と言うと森の精が、それは困ったことですね、この方角に真っ直ぐ山を下りて行きなさい。そうすれば水車小屋に出ますから、其処に出たら、後は水車小屋の前の坂道を降りていけば村の外れに出ますよと、こう説明をしてくれた。そして森の精は小さなおむすび持っていたんですね。すると、お姉ちゃんは森の精にすみませんけどそのおむすびを一つ頂けませんか。私はお腹はすいていません。だけど此処に居る弟はお腹をすかして泣いています。どうか分けてください。と・・森の精は快くおむすびを弟にあげた。そうすると弟は喜んでおむすびを食べお姉ちゃんに手を引かれて山を走るように降りていった。こういうお話しだったんですね。で、お話しが終わって幼稚園児に感想を聞いてみましたら、今の話しおかしいんじゃないかという事になった。お姉ちゃんと半分こすればよかった。半分づつ分ければよかった。お姉ちゃんだってお腹がすいてたんだから。こういう話しになったんですね。先程の宮沢賢治の詩のような「少欲知足」だとか、「自分を勘定に入れず」などという教えはもう通用しなくなったのではないでしょうか。まあ、合理的と言えば合理的かもしれませんけれど、今、ああ、こういう時代になったのかなあと私も思いました。お姉ちゃんは可愛いおとうとの為に自分は我慢をして弟にあげたわけですけど、今の幼稚園児達はそういう気持ちはないみたいですよね。半分ずつすればよかった。こういう意見です。そうだそうだと子供さん達は言っている。もう少し、もっと驚いたのはこういう意見もありました。違うよ、お姉ちゃんは年も上だし、体も大きいんだからおむすびは少し多めに食べていいんだ。弟は少し食べればいいんだ、と、こういう話しなんです。お釈迦様の教え、法華経の教え、とんでもない。今そう言う時代なんです。こういう子供達が大きくなると心配だなあと思いました。今十七歳の凶行、金属バットで殴打して、大変な事件を十七歳の子供達が引き起こし、又十七歳ばかりでありませんね。もっと低年齢化した、小さな子供達が恐ろしい事件を次々と起こしている。これからどうなるのかなあ、私は大変不安になってきます。胸を張って法華経を皆さんと一緒に読みましょうね。お題目を唱えましょうね。そうすることは、仏教の根源である慈悲や慈愛はもちろんのこと、感謝をするという心を育てるものではないでしょうか。今の世は、鎌倉時代のあのすさんだ世ほどではないでしょうが、今こそ法華経の教えやお題目の力が必要なのではないでしょうか。
今日お集まりの皆さんは、それぞれにお子さんやお孫さんをお持ちのことと思います。どうぞご家庭では信仰の話、とりわけ法華経やお題目の話をなさってください。皆さん方こそ家庭にあっては信仰の中心になっている方々だと思います。ですから先ほどの日蓮聖人のお言葉をお借りするようで恐縮ですが、「我わが家の信仰の柱とならん」「我わが家の信仰の眼目とならん」「我わが家の信仰の大船とならん」という心意気で、家族をより深い信仰へと導いていただきたいのです。
さあ皆さん、お題目の輪を大きく広げましょう。
お時間がきたようですので、ご一緒にお題目を一遍唱えて終わりといたします。どうもありがとうございました。南無妙法蓮華経。

